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2019年11月

2019年11月18日 (月)

DXの理(ことわり)、日本の課題

 多くの企業で、様々なメディアで、DX(Digital Transformation)の発展を求める声が喧しい。DXが人々の暮らしをより良い方向に激変させるのだという。スウェーデンのエリック・ストルターマン教授が2004年に発表した『Information Technology and the Good Life』で提唱した概念だ。15年も前の論文である。遡ること1995年、マサチューセッツ工科大学メディアラボ創設者ニコラス・ネグロポンテ氏は、当時ベストセラーとなった著書『ビーイング・デジタル』で、アトムの生態系からビットの生態系へと相転移する世界観を展開していた。更に遡れば、1980年代に喧伝されていたマルチメディアもよく似た概念であり、最近のDXの発展を求める声には既視感がある。DXは決して新しい概念ではない。

それが今になって時代のキーワードのように取り上げられている背景には、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)や、BAT(Baidu、Alibaba、Tencent)など、メガ・プラットフォーマーの台頭がある。民泊サービスのAirbnbや配車サービスのUberなどが、デジタルテクノロジーによって既存のビジネスモデルを破壊しながら爆発的に成長していることもDXを時代のキーワードに押し上げた。企業ではCDO(Chief Digital Officer)と呼ばれる職務が注目され、デジタル人材を求める採用戦線も熱気を帯びている。四半世紀以上も前から提唱されてきた概念の実現化をデジタルテクノロジーの進歩が加速させはじめた、ということなのだろう。

 一方、日本の産業界ではGAFAやBATのようなグローバルな市場で活躍する企業がなかなか現れてこないことが問題視されている。その焦燥感はメディアの論調にも滲む。企業でDXに取り組む幹部たちの目には、羨望の色だけではなく諦念感さえ漂っている。

 

 DXで成功しているビジネスモデルを抽象化してみると、どれもが3つの要素とそれらを繋ぐ価値連鎖によって成り立っているように思える。一つ目の要素は、人々が生成するコンテンツや行動の履歴、あるいは生体情報や財産情報などを蓄積する情報基盤だ。二つ目の要素は、それらの情報を分析して新たな製品やサービスを創出する開発システムだ。三つ目の要素は、個々人の欲求に適した製品やサービスなどを提供するデリバリーシステムだ。提供された製品やサービスへの評価は情報基盤に還元されて価値連鎖を形成する。そして、Big DataやAIやIOTやCLOUDなどのデジタルテクノロジーの進歩が価値連鎖を軽やかにしていく。DXとは、このような価値連鎖を人々の暮らしの中で実現していくことと言えそうだ。消費の仕方、製品やサービスの提供方法、個人の稼ぎ方、社員の働き方、企業間の連携方法、投資の仕方、企業と社員の関わり方、貨幣流通の在り方、人やモノの移動方法、人の成長、社風やモチベーションのつくり方、経験知の活用方法など、人々の暮らしのあらゆる場面でデジタルテクノロジーによる価値連鎖を実現していくのである。

 DXで成功しているビジネスモデルからは、もう一つの共通性を見出すことが出来る。形成された価値連鎖は様々なデジタルプレイヤーの相互の乗り入れが可能で、そこから新たなビジネスを次々と生み出しており、既存の産業分類に収まらない。価値連鎖を新たな産業を共創するデジタル生態系へと拡張させているのだ。中国の4大保険業者である中国平安(ピンアン)や無人コンビニ店の運営を展開している大手EC企業の京東(ジンドン)などもその代表例と言えるだろう。例えば中国平安はひとつのIDで活用できる100種類ものアプリを公開しており、それらは健康維持や生活利便性の向上にも役立つという。中国平安が形成する価値連鎖も旧来の生命保険業界の枠には収まらない。このようなデジタル生態系の動きを見ていると、巨大な細胞培養器の中の活発な生命活動を覗き込んでいるような気がしてくる。

 日本企業のDXへの取り組みはどうだろうか。既存のビジネスモデルの延命策的な改善や部分的なDX活用のパッチワークに留まっており、レッドオーシャンの中にスモールワールドをこしらえて小競り合いを繰り返しているようにしか見えない。その背景には顧客の個人情報に対する囲い込みの論理がある。小さな囲い込みがひしめき合っている日本の産業界からはグローバルな市場で活躍する企業が現れないことも頷ける。最近ヤフーとLINEの統合が取りざたされているが、国内の消費者の一部が多少なりとも決済の利便性を享受できるレベルだ。DXで成功している海外の企業にも囲い込みの論理は働いているが、自社の顧客だけに固執しておらず、世界人口の中で産業の枠を越えたシェアの獲得を想定しているように見える。ようするに囲い込みの規模が桁違いなのだ。日本企業にもそのような発想がないわけではない。しかし、精緻につくり上げてきた既存のビジネスモデルとのカニバリを恐れる気持ちも加わって、思い切った投資を妨げているのだろう。所謂イノベーションのジレンマだ。では、日本企業の打開策はどこに見出すことができるのだろうか。

 

 デジタル生態系の中で価値連鎖が拡大していく過程には一定の法則性がある。4つのプロセスと、それぞれのプロセス毎に3つのステップがあり、それらがスパイラルアップしていくのだ。このスパイラルアップは四半世紀も前から始まっており、これからも加速度的に拡大していくだろう。そして、スパイラルアップのボトルネックに日本の課題が見えてくる。

 一つ目のプロセスは「デジタル資産の境界消失」だ。そこには、情報ヒエラルキーの消失と、情報の縦割り構造の消失と、情報流通の活発化の3つのステップがある。例えば、病院や薬局や健康サービス機関などがそれぞれに囲い込んでいるパーソナル・ヘルス・レコードの境界線が消えていくことを想像して頂ければ分かり易いだろう。二つ目のプロセスは「デジタル資産の共有化」だ。そこには、繋がりの拡大と、情報管理の再編と、個人情報の統合化の3つのステップがある。分散しているパーソナル・ヘルス・レコードが1つのIDで消費レコードや信用情報など様々な個人情報と繋がっていく、様々な決済がワンストップで出来るようになる、そんなイメージだ。三つ目のプロセスは、「デジタル資産の活用化」だ。そこにはデジタル資産の用途拡大と、用途の個への最適化と、簡便性の高度化の3つのステップがある。このプロセスでB2MEが完成する。最後のプロセスは「アナログ資産の復興化」だ。そこには、アナログ価値の見直しと、アナログ価値の向上と、デジタル価値とアナログ価値の調和の3つのステップがある。DXで成功している中国企業は今、日本の生活文化や芸術や観光資源などのアナログ価値を求めており、デジタル生態系の中に取り込むために投資の触手を伸ばしているという。

 日本と日本の企業がDXで成功するための鍵は一つ目のプロセスにあるのではないだろうか。小さな囲い込みの中でガラパゴス的に蓄積され互換性に乏しいデジタル資産は、囲いの中ではクオリティデータであっても本当の意味でのBig Dataにはなっておらず、囲いを取り払った瞬間にジャンクデータとなってしまうのだ。先ずは、企業や産業や行政機関の壁を越えて、それぞれが囲い込んできたデジタル資産をクオリティデータとして活用できる情報基盤の整備が喫緊の課題だろう。 情報基盤の整備は、日米の関係性を見てもGAFAがつくり上げてきたデジタル生態系との互換性を持たせるべきではないだろうか。精緻に構築されてきたレガシーシステムの上に成り立っている日本のIT環境を考えると、境界無きクオリティデータの基盤整備は簡単ではないが焦る必要はない。急速に進歩するデジタルテクノロジーだが、セキュリティの問題を筆頭にまだまだ課題は山積しており発展途上だ。ウサギとカメの話ではないが、進歩の先行きをしっかりと見極めながらじっくりと取り組めば良い。それこそが日本の得意とするスタイルだ。

一方、国家戦略レベルの取り組みを通してデジタルテクノロジーの進歩に対する日本の影響力を高めていくことも必要ではないだろうか。例えば量子コンピューターの実用化などだ。暗号解読のリスクが懸念される量子コンピューターだが、逆手にとってセキュリティ強化への活用もあり得る。一つ目のプロセスを推し進めていく上でセキュリティの強化は極めて重要な問題になるため、セキュリティ問題の解決に着目した量子コンピューターの実用化研究などにフォーカスするのだ。

一つ目のプロセスで課題を克服していけば、二つ目のプロセスは自然と動き出す。しかし、その際に必要となるのが個人情報に対する理念の確立だ。EUでは2018年5月25日から「GDPR:General Data Protection Regulation(一般データ保護規則)」が施行され、サーバー犯罪の悪質化や、スマートフォンなどの普及による通信ネットワーク上における秘匿情報の増加を背景に、個人情報を集めたり処理したりする企業に対して様々な義務が課せられるようになった。GDPRの下では個々人は「忘れられる権利」を持つことになるが、これが「表現の自由」を抵触するとして物議を醸しておりGAFAの動向にも影響を与えている。日本も、デジタル生態系の規範となるような理念を打ち出すべく英知を結集しなければならない。案外そんなことがブレイクスルーのきっかけになるのかもしれない。

 

方丈の庵

2019年11月 5日 (火)

国破れて(衰退して)山河あり ~急速に山林に飲み込まれていくニッポン~

 近年、野生動物(特にサル、イノシシ、シカ、クマなど)が人家付近まで進出し、食べ物を奪ったり、ゴミ取集場を漁ったり、農作物を食い荒らしたといったニュースを耳にすることが多くなりました。ヒトに危害を加えて大けがをさせ、地元のハンターに駆除されたというものも多々あります。野生のサルは、以前から人間の居住地域や観光地などで見かけることもありましたが、最近ではイノシシやシカも居住地域に出没するようになり、農作物への新たな脅威となっています。イノシシは豚コレラの媒介主とも言われており、人間の食糧生産や養豚事業にも暗い影を落としています。

 2019年は、特にクマの出没という話題が多かったように思います。北海道では札幌市内の住宅街にヒグマが出没し、知床ではヒグマが観光地に頻繁に出没し、現れたヒグマに餌を与える観光客が動画投稿サイトに上がっていました。本州でもツキノワグマの目撃例が後を絶たず、以前よりも人間の居住地に近い場所にまで現れています。

 

 野生動物が身近なところまで出没し始めた原因としては、野生動物の食糧事情により、食料が潤沢で容易に手に入る農地や居住地に進出してきているというのが一般的な見方ですが、最も大きな要因は野生動物の個体数が大幅に増加しているということです。 これは狩猟人口の高齢化、山林を管理する林業の人口が激減していることによる森の放置があげられますが、実は獣の捕獲頭数は右肩上がりで、捕っても駆除しても個体数は減るどころか増えているのが現実なのです。特に強い繁殖力をもつイノシシは、もの凄いペースで増えています。人間が見放した山林では自然が一気に回復(人工的なものが風化)し、爆発的に野生動物が増えて、今や手が付けらない状態なのです。

 

 なぜ、このような状態になったのでしょうか?

 これまでは、人間が長い時間をかけて山林を伐採して住宅地や農地にし、さらに鉄道や道路、堤防やダムなどを建設することで、人間が住みやすいように、便利になるように、自然界を改造してきました。これにより山林の生態系が破壊され、動物が食料を見つけにくく、住みにくく、子孫を残しにくい環境となり、多くの野生動物の個体数が激減しました。一部の種は絶滅か絶滅危惧種となるまで追い込まれました。このように自然を人工的に改造することで、野生動物を山奥に追い込み、人間が彼らの脅威にさらされず、存在を意識することない生活を獲得することにつながっていました。

 しかし、人間の活動の主領域が都市部に移動し、さらに第一次産業(農林業)が衰退したことによって、多くの山林が野生動物に実質的に“返還”されることとなり、破壊した自然が回復しはじめ、野生動物の個体数が増加に転ずることになりました。増えたのは古来からの人間の領域には近づかない警戒心の強い野生動物だけではなく、人間の領域も重要な食料調達場所として認識して、警戒心が比較的希薄な新しいタイプの野生動物達も現れました。自然の厳しい環境の中で、少ない食料を奪い合うよりは、多少のリスクはあっても食料となる農作物や食料ゴミが簡単に手に入る人間の領域を選ぶ個体もあり、特にイノシシやシカはその傾向が強いようです。

 

 人間の都市が野生動物の脅威にさらされていた時代は、都市が拡大し自然を侵食し始めた江戸中期から明治まで遡ることになります。そこは、人間が夜でも安心して暮らせる都市部と、野生に隣接し夜になると野生動物の脅威にさらされる都市を取り巻く郊外エリア、さらに人間が入りこむことが難しい野生動物が主役のエリアに分かれていました。都市部は夜でも安全ですが、それ以外はなんらかの方法で人間の安全を確保する必要があります。

 例えば、富士山や世界遺産に代表される歴史的建造物を中心とした観光地は、都市部から離れ山林に囲まれているので、野生動物の領域を隣り合わせです。これらは、安全に観光できるように、野生動物から観光客を守るための仕組みや人員を配置することになります。そのためには多額のコストがかかるため、維持メンテナンス料金を徴収することになるでしょう。また、キャンプや釣り、登山など鬱蒼とした山に入るという行為は、野生動物との遭遇や襲撃リスクが非常に大きくなります。現在でもクマ出没などの看板も見られます。登山者はクマ除け鈴などを付けて安全に気を使っていますが、滅多に出会うことはないだろうという潜入感が先行しています。しかし、クマの個体数が増えれば、クマ除け鈴だけでは危なくて山には入ることはできなくなるでしょう。避暑地にある高級別荘地もほとんどが山林に囲まれ他エリアにあり、シカやイノシシの被害は深刻だといわれています。

 2019年は台風に猛威にさらされた房総半島もイノシシの被害が深刻な地域で、特にタケノコや山菜などはほとんど食い荒らされている状態です。今回の台風被害で山里近くの宅地を放棄するする人が多くなれば、これらもやがて森に還っていくことになります。

 東京都でも郊外に行けば多摩丘陵の深い森が近い場所も多く過疎化が進行している地域もあり、それらはやがて限界集落になり廃墟と化して、自然に飲み込まれるでしょう。

 自然に飲み込まれた地域は、人が住むには適さない常に野生動物の危険にさらされる環境となり、自己防護手段をもたない服装や装備で踏み込めば、命の危険を覚悟しなくてはならない世界となるのです。

 

 この「日本列島の山林化」ともいえる現象に対する有効な対策として、スマートシティによる共存を考える人は多いのではないでしょうか。スマートシティは、エネルギーの自給や効率的なモビリティが配置されるなど、人間の住みやすさや安心を追求したもので、「進撃の巨人」にでてくるような防壁で囲うことで獣害への対抗策となります。しかし、獣の侵入は食い止めたとしても、「日本列島の山林化」はスマートシティの外で進行するので、マクロ的な観点では効果は限定的で、人間の安全は確保されても十分な食料が供給されないというような事態も考えられます。そういう意味では、今後はスマートシティコンセプトだけでなく、水、飼料、エネルギーを自給でき獣害から農作物や家畜を守る「スマートファームランド」、「スマートランチ(牧場)」なども必要になります。

 

 「日本列島の山林化」を食い止める最も有効な対策は、皮肉なことですが、人間がこれまで行ってきた山林を収める手立てを講じて、自然界における個体数増加機能を人間の管理下に置くこと(つまり人間の活動領域とすることで、自然を人間の都合のよいように改造すること)しかありません。要は人工的な開発を行って自然にダメージ(環境を破壊する)を与えるということです。過去にこれができたのは、急速に人口が増えていたことと、欧米列強に追いつくために急速に近代化、工業化しなくてはならない国家の事情があり、それらが自然を破壊し、野生動物の脅威を抑止していたのです。しかし、今の日本の経済状態、樹木の需要、日本の人口動態や高齢化の進行を考えても、山林を切り拓く必然性がなく、山林の整備に投入するお金や人員は、減少することはあっても増えることはないでしょう。経済発展の行きつく先として、国内の一次産業に頼らない産業構造と都市部を目指す人の流れ、そして人口減少によって、拡げ過ぎた人間の領域を自然界に還すという極めて自然な行為が行われているにすぎないのです。

 

 人間がその叡智による科学力で、野生動物を屈服させて森の奥に追いやり細々と暮らすことを強いてきました。しかし、人間が日本国土を我がものとして謳歌した時代はすこしずつ終わりに近づき、野生の脅威に正面方向き合っていかなくてはならない時代が再び始まりました。これからは、特に山間部では銃器やナイフなどを携行することが当たり前となり、鳥獣保護の法律も大きく見直されることになるでしょう。それでも増えはじめた個体の増殖を止めることは容易なことではなく、やがてかつてあったような壮大な“手つかず”の森が再生されることになります。

 内閣府の人口予測によると、2060年には8674万人になるとされています。人口減少と並行して都市部への人口移動が加速し、不要になる約4000万人分の居住エリアは、限界集落を経て自然に戻ることになります。その頃には、8500万人が住めるだけの居住地と大都市間の往来や事業活動にかかわるインフラが人間のものとなり、残った国土は人間が容易には踏み込めない深い森と、野生動物が支配する領域になるのです。

 

マンデー