2019年3月 4日 (月)

SNS興隆時代、情報の快楽に溺れないために

インターネットの発展により我々は、容易く国境や、属性を越えて、人と関われるようになった。その繋がりやすさを加速させたのは、Facebook、Twitter、TikTokのようなSNS。これらに共通しているフォローという機能により、我々は、自分と共通点のある人物や、好きな著名人やコミュニティを、フォローし、自分にとってメリットのある情報のみを、簡単に取得できるようになった。

一方で、自分が不要だと判断した情報や、批判的な人物からの情報も、いとも簡単にブロックできるため、結果として、自分にとって居心地の良いコミュニティや情報のみに囲まれているとも言える。

こうしたネット上のコミュニティ内で意見を発すると、当然好意的な反応や同調のみが起こる。まるで自分の声が反響し、さも大多数に、同調されているかのように意見が強化されるような状態は「エコーチャンバー(共鳴室)」とも例えられている。また、自分が発せずとも、そもそも同じ価値観の人間が多いコミュニティのため、誰かのメッセージもまるで大多数が自分と同じ思いを抱いているような感覚に陥ることすらある。

こうした状態は、自分にとっては、とても心地よい状態だが、こうした「快」に浸り過ぎていると正しい情報の見極めができなくなり、目の前の情報や、自分が発する情報が本当に価値のある良い情報かどうかが、判別できなくなる恐れがある。

実際に、上記のようなネットのコミュニティでは、フェイクニュースや偏った思考もひとたび共感を示す輩が表れると、そのコミュニティ内では、そうした情報を正しいものだと自分の意見のように信じ込み、一気に拡散してしまうことがあると言われている。

筆者がSNSを使い始めたのは、大学生の頃であるが、今後は物心ついたころからSNSを使っている世代も増えていく。こうしたWEB上でのコミュニティによる人の繋がりは、より当然のものになるであろう。注意すべきは、この「快」に浸り過ぎることなく、常に自分をニュートラルに保つことだ。

そのためには、敢えてアナログに一次情報を取りに行く習慣をお勧めする。自分が興味を持った分野の第一人者や、職場の上位者でも、ショップの店員でもよい。面と向かったコミュニケーションで、その道のプロと会話をし、自分の心が動いた、その感覚を大事にすることだ。

大抵の場合、一次情報を取りに行くのは手間である。待っていれば、いつか誰かがまとめサイトやTwitterで情報を流してくれるかもしれない。しかし、直接情報を取りに行く手間と、自分の身体を動かして捉える経験の機会を敢えて作ることは、「快」を求め過ぎてきた現在の情報社会における価値ではないだろうか。また、そうした感情を伴う経験は、長期的にも記憶されやすいとされており、自身の学習面から見てもメリットがある。

いつの時代も、事実は一つだが、解釈は無数にある。

誰かの解釈に振り回されて、心地よさを得るよりも、事実を拠り所に、自分をニュートラルに保つことこそが、このSNS興隆時代に必要な「快」なのではないだろうか。

KM2

 

2019年2月19日 (火)

遊ぶ脳

 東向きのリビングは朝の陽ざしが眩しい。天気予報は気温4度と伝えているが、リビングの中は暖かい。窓辺の棕櫚竹や羊歯やサンスベリア達も、日差しを弾いてころころと喜んでいる。最初は三鉢しかなかったのに、いつの間に増えたのだろうか。数えてみたら窓辺だけで十三鉢もあった。

おせち料理にも、晴れやかなテレビ番組にも、長い休暇にもすっかり倦んだ。家族は朝から出かけてしまったし、ジムに行くのもなんとなく気が向かない。コーヒーを淹れながら新聞を読んでいると、スマートフォンから鳥の囀る声がした。開くと田中君からの散歩の誘いだった。何を思ったのか、私は10分後に“反逆者”の名を冠した愛車のエンジンをかけていた。

田中君の家の前に着くと、玄関先で待つ田中君が、豆鉄砲で撃たれた鳩のような顔をしている。窓を開けると、「まさか、ジープで来るとは……」と絶句した。5分後には、また何を思ったのか、私は高速道路の料金所をくぐっていた。

「今朝の時事討論見た? あれじゃあハラリさんの云う認知革命以前の時代だね」田中君が言う。

「ん? 政治家の話に、分かち合うようなフィクションもないってこと?」私が聞き返す。

「分かち合うべきフィクションがないどころか、自己完結しちゃってるだけのファンタジーだよ。あれならAIの方がましじゃないかなあ。この政策は目的達成確立12%ですとか、国民の8%から支持を得られるでしょうとか、そういってくれた方がずっとましだよ。そしたら、ああ僕は8%のマイノリティーかって納得して、無駄に怒ったり、余計な希望を持たなくてすむんだし、もっと創造的な時間の遣い方ができるってもんだよ。」いつもは大人しい田中君だが、今日は少し怒っている。

AIなら失言もないんだろうね」と返事をしたら、昨夜の自分の失言を思い出して溜息が出た。

 とまれ私の握るハンドルは、ほぼ無意識の内に伊豆半島の方角に切られていった。これがAIの自動運転なら、田中君にとっても、こんな迷惑な事態にはならなかったのだろうなと思って、少し笑った。いやいや、そもそも田中君を車でさらったりしなかっただろうと、少し反省した。少しだけだが。

 

 人間は、実に器用な生き物である。針の穴に糸を通したり、あまつさえ縫物をする生き物などは、地球上には人間以外にいない。バレエダンスのような身体操作を自在にやってのける生き物も人間だけだ。それらはみな、大容量を得た脳の成せる業である。しかし、一日中、年がら年中、手足を器用に動かし続ける人間などお目にかかったことがない。大半は休んでいるのである。ではお休み中の脳はいったい何をして過ごしているのだろうか。おそらく遊んでいるに違いない。眠っている時に見る夢なども遊んでいるとしか云いようがない。人間の複雑な精神活動は、脳が自らの容量を持て余し、遊んでいたことで獲得されたものだと思う。

 その精神活動だが、とりわけ感情の生成が面白い。鉱物はどんな情報をインプットしても、何もアウトプットしない。話しかけても無駄である。植物は光と水と二酸化炭素をインプットすると、律義に養分を生成し酸素を排出する。話しかけたら酸素をくれるに違いない。知能が発達している哺乳類は、知覚したインプットに対してストレートに経験学習した一つの行動をアウトプットする。我が家の犬も実に従順なものである。

ところが人間の脳は、五感が一つのインプットを知覚すると瞬時に沢山の感情を生成するらしい。例えば、ドアを開けた時に床に人が横たわっているのを見たとする。しかも、近くには赤い液体がこぼれているとする。そんな光景をインプットされた脳は、危険なのか危険ではないのか認識できない段階では、恐怖という感情をつくるのと同時に好奇心という感情もつくっている。驚きとか、不安とか、嫌悪とか、そんな様々な感情が行き来する。で、そのどれかを選択すると、選択された感情が行為を引き出す。例えば、好奇心に駆られてつついてみるとか。そして、ただの酔っ払いが、トマトジュースをこぼして泥酔していた、などという落ちになる。

人間の脳は、それぞれの感情がもたらす結果を、過去の記憶と照会しながら予測し、比較して、選択する。そして、選択した感情に導かれて行動する。そのようにできているそうだ。

従って、人間の行動には必ず意味がある。どのような記憶を演算して、どの感情を選んだのか、という意味である。やっかいなことに大概は無意識の選択だ。しかも人間は、同時に複数の感情を生成するがゆえに、悩み、迷う。選択しなかった感情まで記憶されているそうで、奇特なことに、選ばれなかった感情までも、いちいちその後の選択に参加する。これら一連の精神活動を心というのだそうだ。

だとすれば、私の心はいったい何をしでかしたのだろうか。どうして田中君をさらってドライブなどしているのだろうか。このほぼ無意識の選択はいかなる感情の仕業なのか。きっと脳が何かを知覚して私の心が遊びだしたのだ。犯人は新聞か、窓辺の植物たちか、はたまたコーヒーの香りか。スマートフォンの広告だったらと思うと、少し嫌な気分になる。

以前、感情の数はどれだけあるだろうかと唐突に思いついたことがある。脳が遊ぶままにざっと数えてみたのだが、24個で諦めた。少し調べてみたことがあるが、感情は、母性本能と生存本能と知性との3つの幹から発生するという。そこから千々に枝分かれして増えていく。しかも、感情と感情をシェイクすると、全く別の感情のカクテルができるらしい。例えば、勇気という感情だが、それを生成するためには、恐怖と愛情と希望の3つをシェイクすることが必要になるのだそうだ。なるほど恐怖と縁遠い環境に棲むサラリーマンに、勇気を出してチャレンジを、と言っても難しいわけだ。

一方で人間は、自分が選んだ行動の意味をはっきりと自覚することもあるらしい。すると、その感情は意思になるのだとか。意思を伴って記憶された感情は、よく似た意思決定を繰り返すらしい。無意識の選択だけではないのだとほっとする。さては人間の脳には、感情生成システムと意思決定システムとの2つのOSがインストールされているのか、と思い当たる。無論、それだけではないだろうが、この推論には自分で納得した。自分で納得しているだけなので、もっとちゃんと調べてみなければならない。

そういえば、去年売れたと云われている商品は、どんな感情を引き出すことに成功したのだろう。隣で退屈そうにしている田中君に検索をしてもらうと、安室奈美恵、ドライブレコーダー、ペットボトルコーヒー、ZOZO、グーグルホームにアマゾンエコー、君たちはどう生きるか、aibo……。なるほど、失われる喜びへの焦燥感、回避したい不安、時代遅れになることへの恐怖など、次々と解りやすい感情の名前が出てくる。しかも上手にそれを煽っている。まだランキングを読み上げている田中君をおいてけぼりにして、売れなかったなあ、と思い出される商品を振り返ってみると、確かに何かの感情が湧いてくる気がしない。そうか、よい商品をつくると云うことは、感情生成のメカニズムをデザインすることなのだと自分の思いつきに満足する。更に、意思をもって選ばれるようになるとブランドになるのかと思いついてほくそ笑む。ふと我に返ると、隣の田中君が眉根を寄せて訝しんでいた。この思いつきについて田中君と議論してみようかと思ったが、面倒臭くなりそうなので、やめることにした。

 

コンピューターは、インプットされた情報からまっすぐに1つの答えを導き出す。植物のようなもので裏切らない。AIも同じで、人の感情は理解するが、迷うことも悩むこともなく1つの答えを導き出す。つまり、今のAIはまだまだアトムにはなれないし、それで良いのだろう。いちいち一緒に悩まれてはたまったものではないし、私のように毎度突拍子もないことを思いつかれても困ってしまう。しかし、どんなインプットをすれば、どんな感情が生まれるのかは、理解してくれるかもしれない。だとすれば、田中君よりましではないか。我が家にも是非一人、AIを買いたいものだと、私に、私の感情が命令した。

 

 そんな思いをとつおいつ、気が付けば、車は西伊豆の戸田の港町に到着していた。赤松の巨樹が林立する丸い入り江が美しい。運転していた自分の意識を思い出そうとしてみるが、とぎれとぎれで思い出せない。半ば眠ったような状態で運転しをていたのだろうか。実に危ないことである。

海辺の町は静かだった。戸田の港町は眠っているようだ。

方丈の庵

2019年2月 5日 (火)

農家を金のなる木にするためには・・・

 ここ最近、ほとんど目にすることがなくなった言葉に「食料自給率」があります。数年前のTPPへの参加是非で大騒ぎだった頃には、日本の農業が壊滅するだのと激しい論争が戦わされましたが、そのTPP反対派の拠り所になっていたのが、食料自給率でした。食料自給率を改善するには、農業従事者の増加に加え、農業従事者の若返りが急務ですが、職業としての農業は若者からは見放されて久しく、今後農業に飛び込んでくることはほとんど期待できないでしょう。

 農業、畜産業に代表される第一次産業の人気が無いのは、最先端であるようなイメージもなく、どこかカントリーを感じさせる雰囲気、なによりきつい肉体労働であること、そしてほとんど儲からないことなど、若者が魅力を感じる要素がほとんどない職業だからです。

 元々社会が発展するに従い、第一次産業就業者から高付加価値産業と言われる職業従事者のシフトが始まるのが経済学の定石ですが、人が生きていく上で絶対に無くならない、「食べる=エネルギー補給」という最も根幹部分を供給する産業が壊滅寸前というのは、国家にとって憂慮すべき事態ではないでしょうか。

 ここ数年で注目されることが多い大間のマグロ漁師なども高齢化は深刻です。一本釣り上げたら百万以上の実入りがあると言われていますが、そのようなケースは稀で、入漁期間や漁獲量の制限、操業できるのは天候次第などの収入の不安定さ、荒海に出て操業する危険と隣り合わせの職業であり、若者に人気があるとは言えません。これら第一次産業を人気の職業にすることはできないでしょうか?

 ここでは農業を中心に、若者が続々と飛び込んでくるような策を考えてみたいと思いますが、わかりやすいのはネガティブに感じる部分を払拭することです。

 まず、きつい肉体労働である点ですが、GPSやAIなどのITによる農業機器の発展で、機械化できる範囲が確実に増えており、以前よりはきつさは緩和されてきています。特に労働集約型の仕事のきつさ度合いは、得られる対価によって変わってきます。後述する方法で農業が儲かるビジネスに変貌すれば、労働の対価として高額な報酬が期待できる高収入職業ということになり、きついから従事しないというマインドは希薄化されることになります。

 次にほとんど儲からないという点についてですが、農業が儲からない要因は大きくわけて2つあります。一つ目は、生産者に価格決定権がないことです。価格は需要と供給のバランスで決まりますが、農業にはこの図式が当てはまりません。製造業であれば標準小売価格(またはオープン価格)は生産者が決めます。しかし農業は、JAを通して出荷することがほとんどで、その場合は一括してキロ○○円という形で買い付けられることになりますが、その際の買値は、買い付け側が市場の状況を見て決めることになります。生産者が○○円で売るという希望が反映されることはありません。

 このような仕組みができあがったのは、農家が個別に営業(販売)する機能を持たなかったため、地場のJA(旧農協)が農家をとりまとめて営業機能を一手に引き受けたことにあります。営業だけでなく、農家を支援するという大義の下で、農家にとって面倒な業務である、物流(市場までの配送)、金融(現金化)業務も代行し、さらには農業指導、共済事業や物販まで担うようになり、JAに任せておけば大丈夫というような広範囲なサービスを提供するようになりました。これによって、農家は生産活動に集中できるようになりましたが、その代償として価格決定権を放棄(JAに委ねる)することになったのです。

 JAでは生産した物を、基本的には総量買い付けするので、生産者は在庫や売れ残りの心配が無いことなどのメリットがありますが、極めて安く買い付けられてしまうこと、一括して同価格での買い付けになるので、個々の農家が努力して品質のよいものを生産したとしても、その努力や工夫が報われないという結果になり、農業を儲かりにくい産業にしてしまいました。実際に、最終的な小売価格は小売業が店に並べる値段となりますが、生産者が出荷した価格よりも数倍以上の価格が設定されることになります。

 もう一つは、日本の消費者の知識不足があります。国内の農家が育てた農産物は、諸外国産の農産物に比べて格段に安全で高品質であることの実態を知らないと言うことです。単に無農薬や有機農法ということではなく、農産物の生産に欠かせない豊かできれいな水、汚染が極めて少ない空気や土壌がもたらす環境が、日本の農産物の品質を高めることにつながっています。しかしコストに敏感な消費者は、国産よりも価格の安い(農水省の基準を満たした農薬や肥料を使用した)外国産の農産物が大多数を占めるようになっています。国産は「良い品物であるが高い」という部分の、「良い品物」のレベル感が外国産とは比較にならないということなのですが、日本の消費者はその点を理解して高い国産を買えばよいのですが、そうはならないでしょう。

  この2点をクリアすることができれば、日本の農業は一転して儲かる産業に変貌することになります。その方法とは、生産者がJAなどを通さず直接販売すること、そしてその販売先として海外の富裕層をターゲットにすることです。直接販売(直販ルート)は手間がかかりますが、価格決定権は生産者側にあり自身の生産した農産物の品質に見合った価格設定が可能になります。

 また、海外の富裕層は日本の高品質な農産物のことを日本人以上に知っており、高い価格設定でも喜んで買っていきます。まずは、中国の富裕層をターゲットにするとよいでしょう。一説には中国には3000万人以上の富裕層といわれる人たちがいると言われています(日本の人口の25%に匹敵する富裕層が存在しているというのは驚くべきこと)。彼らは自国で生産される農産物の危険性を知っており、ほとんど口にしないといいます(自国の農業環境は、土、水、空気のすべてが汚れており、そこで生産される農産物は危険だという認識)。その点、日本などで生産される農産物は安全高品質なので、プレミア価格で取引され富裕層や高級レストランに運ばれているのです。その量は富裕層の需要には全く対応できていないので、中国人バイヤーが日本で直接買い付けることもあり取引価格は過熱気味です。

 例えば、日本の和牛は中国でも大人気で高い価格で取引されています。しかし、日本から中国へは牛肉の輸出はできません。これは過去のBSE騒動の名残で、中国政府が全面的に輸入禁止措置をとっているためですが、中国の食肉マーケットには日本産和牛が並び、高級レストランでは”WAGYU”は人気食材になっています。輸入制限を回避するために、日本からカンボジアに輸入し、そこから中国に持ち込むというルートで取引されます。この方法では物流コストは跳ね上がることになりますが、安全で美味しい日本の食材には金を惜しまない、それが富裕層の考え方なのです。

 このように農家が海外の富裕層向けに直接販売していくことで、日本のJAに出荷するよりも遥かに高く販売することができるようになります。直販はインターネットでの販売により、誰でも容易にできるようになりました。物流は現代の物流業者のルートに乗せてもよし、海外専門の買い付け業者に直接販売する方法もあります。これらの方法で、日本の生産者が「直接」「海外の富裕層(またはバイヤー)」に販売することを始めれば、現在の数倍から十数倍の収入を得ることが可能となり、一気に儲かる産業に変貌します。そうなれば新しく若い人たちが農業に目を向け始めるかもしれません。

 なお、農地のある田舎でしか就業できないという点もネガティブですが、今後の働き方改革でのテレワークの拡大で、都心で仕事をすることの意義はこれから希薄化していくでしょう。そうなれば田舎で就業することが強いデメリットではなくなります。デジタルネイティブな若者達が、サイバー上のコミュニケーションツールをフル活用し、相互にやりとりされる情報は物理的な距離を克服して、全く新しいアグリビジネスの姿が生まれてくるかもしれません。

 日本の農業は今のままでは、担い手の不在で自然消滅していく運命でしょう。日本の消費者の財布の紐は固く、賃金も上がらない状態では、農業を儲かる業態に変貌させるほどの値上げは許さないでしょう。もう日本の消費者の需要量や購買力では、衰退する農業を救うことはできないのです。日本の安全で高品質な農産物の価値を本当に知っているのは、自国が水不足や公害に悩まされている海外の目利き達であり、日本の消費者自身が日本の農産物の本当の価値をわかっていないというのは実に皮肉なことです。日本の農産物のほとんどが海外で売られ、日本のスーパーの棚にはTPPで安くなった外国産農産物が並ぶ、そのようなある意味ブラックな世界がまもなく現実になることでしょう。

マンデ

 

2019年1月 7日 (月)

「働き方改革」を成功に導くには何が必要か?

筆者は、自他共に認める家族第一主義の人間です。昨年、我が家にも新しい家族が増え、より一層家族との時間を大切にするべく、7時出社、16時帰宅という朝方生活に切り替え、日々、家事・育児に奮闘しています。

そんな私からすると、大変驚く記事を年末に見かけました。タイトルは「残業が減っても男はテレビ見るだけ」です。内容を要約すると、以下の通りです(※1)。

 

  • 「仕事」と「家庭」の時間はトレード・オフではなく、単純に「男性は仕事の量にかかわらずあまり育児をしない。一方で女性は仕事が増えてもしっかり育児をする」という、女性へ過剰な負荷がかかった状況であること
  • 「男性は残業時間が短くても余暇を全く家庭に振り分けず、女性が家事・育児をしている。むしろ、テレビを見てくつろいでいる」ということ

 

いかがでしょうか。もちろん、記事で取り扱われているデータの信憑性やデータの捉え方(地域や年代によっても異なる可能性が高い)については疑義が残りますが、これらのデータを「正」とした場合、いったい、どれだけの男性が声を大にして否定できるでしょうか。最近では「フラリーマン」(まっすぐ帰宅するのが嫌で、会社を後にしてからフラフラと街をさまよう会社員)という言葉も生まれています。

 

昨今、「働き方改革」が叫ばれていますが、この事実一つをとって、「働き方改革」を否定するのはあまりにも短絡的です。その辺りを、「働き方改革」の背景から紐解き、成功に導くためには、どのようなことが必要なのかを明らかにしていきたいと思います。

 

 

それでは初めに、働き方改革の背景や概要について、振り返りましょう。

まず、背景ですが、首相官邸の公式文(※1)によると、『働き方改革は、一億総活躍社会実現に向けた最大のチャレンジ。多様な働き方を可能とするとともに、中間層の厚みを増しつつ、格差の固定化を回避し、成長と分配の好循環を実現するため、働く人の立場・視点で取り組んでいきます。』とあります。つまり、働き方改革とは、一言でいえば「一億総活躍社会を実現するための改革」と言えます。そして、一億総活躍社会とは、少子高齢化が進む中でも「50年後も人口1億人を維持し、職場・家庭・地域で誰しもが活躍できる社会」を指します。

では、なぜ一億総活躍社会が目指されているかと言うと、その背景には「生産年齢人口が総人口を上回るペースで減少していること」が挙げられます。内閣府が発表している、日本の将来人口推計を見てみると、現在の人口増加・減少率のままでは、2050年には総人口9000万人前後、2105年には4500万人まで減少すると言われています。次に、実際の働き手となる「労働力人口」を見てみると、国立社会保障・人口問題研究所が発表した出生中位推計の結果によれば、生産年齢人口は平成25(2013)年には8000万人、平成39(2027)年には7000万人、平成63(2051)年には5000万人を割り、平成72(2060)年には4418万人となる見込みです。これらのデータからわかるように、このままでは、国全体の生産力低下・国力の低下は避けられないとして、内閣が本格的に「働き方改革」に乗り出したのです。

 

ここまでで、「働き方改革」の背景については理解できたことと思いますが、次にその概要について確認してみましょう。上記の通り、今後見込まれる深刻な労働力不足を解消するために、政府は、『➀働き手を増やす、②出生率の上昇、③労働生産性の向上』の3つを目指しており、その改革の柱として「長時間労働の解消」、「非正規と正社員の格差是正」、「高齢者の就労促進」を掲げ、「法改正による時間外労働の上限規制の導入」や「同一労働同一賃金の実効性を確保する法制度とガイドラインの整備」など、様々な取り組みを推進しています。

 

 

以上が、「働き方改革」の背景や概要となります。では、働き方改革に対する世論の評価はと言うと、賛否両論分かれているのが実態です。以下はあくまでも筆者の所感になりますが、仕事上、様々な企業と接している中で、掲げている改革の柱に対しては、政府、企業共に努力が見られ、一定の成果を出しているものと見ています。しかし、労働力不足の解消に繋がっているかと言うと、決してそうとは言えません。それは、冒頭で紹介した記事のように、男性の残業時間が減っていても、家事・育児への参加には結びつかないという事態が起こっており、結果として、上記で確認した『➀働き手を増やす、②出生率の上昇、③労働生産性の向上』には繋がっていないからです。つまり、3つの改革の柱との因果関係がない(≒明確になっていない)ため、「働き方改革」を実現していくためには、一つ一つの目標と施策の因果関係を明確にして、それらの実行管理を徹底することが必要だということです。言葉にしてみると至極当たり前のように思われるかもしれませんが、「言うは易し、行うは難し」です。上記の『➀働き手を増やす』という一つをとっても、日進月歩でAIを始めとするテクノロジーが進化する中で、どの分野の、どの年齢層を、どれだけ増やす必要があるのか等、様々な角度から検討していかなければなりません。正直、今の日本の他の国策をいくつか見てみても、因果関係が明確なものは殆ど見当たらないのが現実です。

 

ところで、昨年、筆者が最も印象に残っているセミナーで、新井紀子氏の「AI vs.教科書の読めない子どもたち」があります(書籍も出ているので、未読の人は是非お読みください)。その中で、新井氏は中高生の「読解力」が驚異的に落ちていることについて実験データを基に示していましたが、暗記中心の日本の教育事情では、致し方ないものだと妙に納得した覚えがあります。しかし、明快な施策を見出せていない政治を見ていると、問題は将来を担う現在の子どもたちだけではなく、既に大人として今の世の中を支えている現役世代にも深刻な影響として表出しているのではないかと危機感を感じてしまいます。もしかすると、長時間労働を解消する前に、今の政治家や官僚の「読解力」を鍛えることが、一番の近道かもしれません。

 

いよいよ、今年4月に残業時間に上限を課すなど戦後初の抜本改革と言われている働き方改革関連法が本格施行となります。日本が直面している少子高齢化社会に対する施策は、将来の自国に対する参考事例として、世界各国も注目をしています。未曾有の社会的問題に対して、日本は今後、どのように対応していくのでしょうか。先が読みにくい環境下においては、アジャイル的に進めることも大切かもしれませんが、国家の信用問題にも関わる以上、一日でも早く明快な施策を示して頂けることを期待したいものです。

 

 

<出典>

※1:【残業「なし層」と「あり層」を比較した時の時間の使い道】 
(平成28年社会生活基本調査 総務省統計局 のデータをもとに当該記事作成者が作成)

<男性>

仕事 -257 睡眠 +65 家事・育児 -2 テレビ・新聞など +101 休養・くつろぎ +66 趣味・娯楽 +21

<女性>

仕事 -164 睡眠 +31 家事・育児 +70 テレビ・新聞など +14 休養・くつろぎ +11 趣味・娯楽 -2

 

※2:http://www.kantei.go.jp/jp/headline/ichiokusoukatsuyaku/hatarakikata.html

※3:http://pmi-c.lekumo.biz/social_eye/2018/03/post-6644.html

 

 

ノラ猫

2018年12月18日 (火)

「従業員総副業時代」に乗り遅れないために

2018年は「副業解禁元年」と呼ばれている。背景としては、厚生労働省が2018年1月に「働き方改革実行計画」(平成29年3月28日 働き方改革実現会議決定) を踏まえ、「モデル就業規則」から「許可なく他の会社等の業務に従事しないこと」という副業・兼業を禁ずる規定を削除したことが挙げられる。

では、実際に副業・兼業の許可を行っている企業はどれほどあるのかを見てみよう。全国の従業員100人以上の企業12,000社を対象とした労働政策研究・研修機構の「多様な働き方の進展と人材マネジメントの在り方に関する調査」(2018年)によれば、「副業・兼業を許可している」企業の割合は11.2%、「副業・兼業の許可を検討している」割合は8.4%となっており、副業・兼業に前向きな企業は全体の2割ということになる。一方で、「副業・兼業を許可する予定はない」企業の割合は75.8%となっており、企業側は副業・兼業に対してまだ慎重なようだ。

一方で、労働者側はどうだろうか。同調査によると、今後5年先を見据え、副業・兼業を「新しく始めたい」割合は23.2%、「機会・時間を増やしたい」割合は13.8%となっており、約4割の労働者は副業・兼業に前向きであることがわかった。労働者が副業・兼業を望む理由としては、収入を増やしたい、活躍できる場を広げたい、人脈を構築したい、組織外の知識や技術を取り込みたいといった声が多い。

労働者が副業・兼業を求める主な理由としてあげている「収入を増やしたい」という理由は、終身雇用の崩壊やAIやロボットによる単純作業の置き換え等による雇用機会の消失などの将来への不安が影響しているのではないかと推察する。また副業を通じて、知識、経験、人脈を求める声も比較的多い。その理由としては、上記のような不安を払拭するための自身の成長への想いが、昨今の労働者の意識の根底にあることを表しているのではないだろうか。

こうした背景がある中で、働く側から見たときに、副業・兼業を認めない会社は魅力的に映るだろうか。答えはNOだ。NPO法人二枚目の名刺が国内の大企業(従業員1,000名以上)に勤務する正社員1,236名に対し、副業に対する企業の意識や実態についてインターネット調査をおこなった結果によると、労働者の6~7割は、副業を認めない経営者・会社に対しては「魅力を感じない、あるいは働き続けたくない」という結果が出ている。こうした結果から、今後企業にとって、副業・兼業を認めないという選択は、自社の人材流出に繋がる恐れがある。

こうして考えると、副業・兼業を認める方が、企業にも従業員にもメリットがあると考えられるが、なぜ実態は進んでいないのか。その理由の一つとしては、企業が考える副業・兼業に対するリスクにあると推察される。

リクルートキャリアの「兼業・副業に対する企業の意識調査(2018)」の結果によると、企業が副業・兼業を禁止する理由として「社員の長時間労働・過重労働を助長するため」、「労働時間の管理・把握が困難なため」、「情報漏えいのリスクがあるため」、「競業となるリスクがあるため、利益相反につながるため」等のリスクが挙げられている

今後こうしたリスクを排除し、副業・兼業を奨励する環境を整えることが、企業側に求められることは明白である。では、どのような観点でそうした環境を整備していけばいいのだろうか。私は以下の3つの点に着手することが必要だと考えている。

まず、本業での労働時間の見直しである。企業が副業・兼業を許可しない理由の一つとして多いのが、本業の労働時間と副業の労働時間が相まって結果的に長時間労働を招く可能性を懸念していることだ。労働基準法第38条において、「労働時間は、事業場を異にする場合においても、労働時間に関する規定の適用については通算する」と定められているため、企業は本業と副業の勤務先の労働時間を通算して扱う必要がある。そもそも本業の労働時間が長時間に及ぶ場合は、副業・兼業自体が難しい。こうした理由から、まずは本業の労働時間を見直し、適切に現状を把握すること。無駄があれば削減し、時間を捻出すること。その上で、副業・兼業の検討を開始する必要がある。

次に、企業が社員と将来的なキャリアゴールを共有する接点を持つことだ。上昇志向のある社員であるほど、自身のキャリアにおいて求められるスキルの向上を自主的に図る傾向にある。しかし、そのスキルが会社で担う役割において求められるスキルと異なる場合、自身のスキルが発揮できる会社に転職する可能性は否めない。企業は、上司を通じて社員本人のキャリアゴールを共有することで、彼彼女が求めるキャリアに対して本業で積むことのできる経験と積むことのできない経験を明らかにし、本業で積むことのできない経験については、積極的に副業・兼業を通じて経験させることで、結果として高いスキルを持つ社員の育成・定着の実現に繋がるはずだ。

最後に、企業のトップが優秀な人財が自社のみならず、他社(他業界)で活躍することを喜ばしいことと認識することが必要だ。トップがそうした認識から、副業・兼業を奨励するメッセージを送ることで、従業員が副業・兼業の実施に向けて動き出す。自社の代表として、様々な場所で活躍する人財を一同に抱える企業こそがダイバーシティを実現しているとも言える。

 

人手不足がますます深刻化を増している現代において、今後副業・兼業を進める企業が増える流れは加速し「従業員総副業時代」が来るといっても過言ではない。この加速する時代の波に乗り遅れないためには、企業が副業・兼業をポジティブに捉え、社員に奨励していくくらいがよいのではないだろうか。そうした企業に勤める従業員が、本業だけでなく副業・兼業を通じてキャリアゴールに向けて加速度的にスキルアップすることで、働き方改革が意図した労働生産性の向上にも寄与するはずだ。

①      「働き方改革実行計画」(2017)         :https://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/05.pdf

②             「多様な働き方の進展と人材マネジメントの在り方に関する調査」(2018):https://www.jil.go.jp/institute/research/2018/184.html

③             「大企業勤務者の副業に関する意識調査結果報告書」(2017)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000024608.html

④             「兼業・副業に対する企業の意識調査(2018)」https://www.recruitcareer.co.jp/news/20181012_03.pdf

2018年12月 8日 (土)

昆虫食が秘める可能性

 2018年1月1日に「新規食品(ノベルフード)」に関するEU規則が施行され、昆虫が新規食品として規定された。養殖された昆虫についてのみ、食用として輸入することが認められ、食品としてEU全域での流通が可能となり、市場の拡大が期待されている。今世界で昆虫食や人工肉等、タンパク質を摂取できる代替食品を手がけるスタートアップ企業が増えている。昆虫食は食糧危機対策になるだけでなく環境に優しいタンパク質を摂取できる代替食品として注目され始めているが、本当に将来の食を支える食材になる可能性はあるのだろうか。

 

 今日の地球環境は爆発的な人口増加に圧迫されている。人口増加の勢いは衰えることなく2018年現在、70億人を突破し、2050年に98億人に増えると予測されている(※1)。この98億人社会の到来により、様々な問題が懸念されており、食糧問題がその中でも最も深刻な問題の一つとして挙げられている。2050年に98億人に増える人類を養うためには、地球上の食糧生産を約70%(※2)増やす必要があると試算されている。

 このような状況で、食糧増産を実現させるための取り組みが様々な方面で行われている。農作物の場合は、品種改良や遺伝子組み換え、植物工場のような機械設備等の開発、また効率的な農地の利用方法や、海水を真水還元して利用する灌漑システム、乾燥地帯の農地化などの開発が進められている。農作物に関しては、様々な取り組みがみられ成果が期待される分野であることから、投資や研究費の投入も盛んだ。

 これとは対照的に将来を不安視されているのが、動物性タンパク質の供給である。動物性タンパク質の供給は畜産業と漁業が主に担っているが、昨今両産業ともに問題が多く指摘されている。漁業においては近年アジア諸国の成長や欧米でのアジアブームによる魚食文化の拡大に伴い、魚の漁獲量が爆発的に増えた。そこで、乱獲による環境問題や、大衆魚の資源枯渇への対策の一端として、水産養殖が成長し2014年には養殖量が漁獲量を超えている。水産養殖産業は動物性タンパク質供給の期待が持てる領域だが、その水産養殖産業も沿岸地域では有効であるが、遠い内陸部への供給は、輸送やエネルギーの面で効率ロスが生じる。内陸部における動物性タンパク質の供給がまだ課題として残されている。

 もう一方の畜産業は、多大なエネルギーを必要とし、環境に負荷をかける行為であり、増産はおろか持続可能ですら無いと指摘されている。国連食糧農業機関(FAO)は、家畜動物達が全世界の交通機関(全ての自動車・飛行機・船)から産出される温室効果ガスよりも40%も多くの温室効果ガスを産出しており(温室効果ガス全体の18%は畜産からの産出)、排泄物に含まれる抗生物質やホルモン剤、食肉解体場からの廃水に含まれる硝酸塩は土壌や水質の劣化の主要な原因にもなっていると報告している(※3)。牧草地は地球の陸地総面積の23%という広大なエリアを既に覆っており、これ以上の拡大は難しく、限られた土地の中で飼育密度を上げての効率化は、大規模な疫病の発症や、倫理的な問題、遺伝子等先端技術や抗生物質等の導入などによる安全性や健康面への懸念がある。このように、様々な問題に阻まれ、畜産業は効率的かつ革新的な増産方法の開発があまり進んでいないという状況にある。

 

 このような状況の中、既存の畜産業・漁業にかわる新たな動物性タンパク質の源として注目されている食材の一つが昆虫食だ。昆虫食の優れた機能性を見てみると、牛肉1キロの生産に8キロの飼料が必要なのに対して、昆虫は2キロと4分の1。温暖化ガスの排出量も10分の1から100分の1という。大量の糞尿もなく、必要な土地もずっと小さい。また牛の可食部位は全体のわずか40%にとどまり、60%の不可食部位を廃棄しているが昆虫の可食部位は平均80%で、タンパク質の量という面でも、牛肉に含まれるタンパク質量は17%であるのに対し、昆虫は80%とほとんどタンパク質のカタマリである。途上国における飢餓環境において、未熟なインフラでも生産が可能で、安価に提供できる可能性を秘めており、高タンパク、低脂肪、高カロリーで、アミノ酸を多く含んでおり、優れた食材といえる。

 

 人口98億人社会に到達するといわれる2050年には、既存の畜産業・漁業より省資源で生産でき環境面への負荷が少なくタンパク質危機に対し有効な食材である昆虫食は、今後、活躍の場を広げる可能性が高いといえるだろう。しかしながら、普及拡大していくうえでは昆虫食への嫌悪感が課題の一つだ。昆虫食の習慣がない消費者は昆虫を食糧として認識するハードルが高く、大衆に受け入れられるまでには時間を要するだろう。しかしエビやカニなどと同様に姿形は印象が悪くとも習慣化されることで抵抗感がなくなるかもしれない。また粉末化し、小麦粉やプロテインバーなどの代替として抵抗感を抑えた商品化することで普及を後押しするかもしれない。

さらに昆虫食は畜産、漁業の飼料としても活用できるかもしれない。例えば廃棄される食糧で昆虫を大量飼育し、家畜飼料では魚粉や穀物類が多く使用されているが、これを昆虫で代替できれば、人間の食べる食糧を実質的に増産したのと同じ効果が得られることになる。世界的に昆虫食文化が普及するのが最も近道なのだろうが、既に昆虫食文化を持つといわれる世界人口の3分の1が安定的・安全に昆虫を調達できる環境が整備されるだけでも、穀物や畜産物に対する需要抑制と言う形で、食糧需給の安定化につながるだろう。

 

※1国際連合 世界都市人口予測・2018年改訂版

※2国連食糧農業機関(FAO) 食料と農業のための世界土地・水資源白書

※3国連食糧農業機関(FAO) 世界の食料安全保障と栄養の現状 2018

 

エウロパ

2018年11月19日 (月)

あの機械のない未来

 ロボットやAIの発達により機械による自動化が進むという世の中の大きな流れは大方の予想を覆すことはないだろう。しかし、古くからある機械装置の中には、それらの技術革新によってその存在意義を脅かされ、全てと言って良いほどその姿を消さざるを得ない未来を待ち構えているモノもある。普段何気なく使っているモノが気づけばなくなっていたという経験は皆さんの中にもあるのではないだろうか。例えば、公衆電話もその一例かと思う。携帯電話、ひいてはスマホの普及により、昔は家や友人の電話番号を覚え、公衆電話を使っていた日常もすっかり景色を変え、今、公衆電話を使用する人やシーンはかなり限定されたものになっているといえる。時代の変化や技術革新とともに新たに登場するモノの陰で姿を消しゆくモノはこれからも数多く存在するかと思うが、(私の個人的な嗜好になるが)本コラムでは特に、自動販売機についてフォーカスして考察を試みたいと思う。その上で、今存在する様々なモノが陳腐化し消えゆく可能性のある将来に対し、どのようなことを考えておくべきかの示唆を見出したい。始めに断っておくが、想像の域を出ない話も多分に含まれるため業界関係者の方の細かいご指摘などはご容赦願いたい。

 自動販売機は今や日本全国に約500万台近く存在し、食料品自販機や物品自販機など様々存在するが、その半数近くを飲料自販機が占める。飲料自販機の動向だけを見ても、もともと「台数至上主義」であったメーカーやオペレーター各社も採算のとれない自販機については撤退し利益志向への転換を推し進めていることもあり、最近街角にある飲料自販機はどんどん姿を消して行っている。実際、日本自動販売システム機械工業会によると、全国の飲料自販機の設置台数は2005年の267万台をピークに減少基調が続き、2016年は247万台で、ピークから20万台も減少した。飲料自販機に関しては、自動販売機に補充を行うルート人材の確保など、その他の課題も山積しており、関係各社は今後の戦略について、撤退も含めて未来に活路を見出す検討を余儀なくされていることではないかと推察される。

 私は自動販売機の未来に活路を見出す上では、何らかのイノベーションが求められると考えている。イノベーションとは、”経済的な価値を生み出す新しいモノ・コト”と定義することができ、イノベーションはめまぐるしく環境変化する昨今において、どの企業も積極的に模索している。挙げ句、人事の領域では“イノベーション人材”などという言葉まで生まれてきている。イノベーションは製品やバリューチェーンプロセスなど、様々な部分で起こるが、今まで見てきた・体験してきた景色が大きくがらっと変わるとイノベーションが起きたといっても過言ではない。iPhoneから始まったスマホの普及などは製品のイノベーションが起きたポピュラーな例といえる。スマホの普及によって、通勤電車内やイベント会場、日常のカフェの店内など、これまでの景色が大きく変わった。では、自動販売機の置かれている景色ががらっと変わるとすればどのようなことが考えられるのだろうか。
 「イノベーションのジレンマ」を語ったクリステンセン氏によれば、イノベーションには持続的イノベーションと破壊的イノベーションの2種類が存在する。簡潔に言うならば、前者は現在市場で求められている価値を向上させるイノベーションのことであり、後者は現在市場で求められている以外の価値を向上させることで既存の価値を陳腐化させるイノベーションのことである。
 現在の自動販売機に起きている技術革新を見てみると、省エネ化や顔面認証による商品提案システム、天気情報やニュースなどを流す機械など、既存の利用価値を向上させるための持続的イノベーションに終始している印象を受ける。携帯電話業界に対するiPhoneの登場のように、破壊的イノベーションを模索していくことが必要ではないだろうか。そのためには、自動販売機が取り巻く景色がどのように変わるか、また自動販売機自体の価値がどのように変容するべきかをイメージすることが重要である。イノベーションは、既存のモノ・コトの異質な組み合わせや今までの視点を180度変えることで発想できることも多い。
例えば、東日本大震災のときに電気の無駄遣いをしていると批判されていた自動販売機の見方をチャンスと捉え、これからの売電市場の盛り上がりと掛け合わせることで売電機器として進化させることはできないだろうか。現在駐車場には自動販売機が必ず設置されているが、これから伸びゆく自動運転市場やEV市場との相乗効果も期待できるかもしれないし、売電量をポイント化して既存の飲料販売と組み合わせるなどの新たな販売スキームを築き上げることもできるかもしれない。
他にも今まで自動「販売」機というのは「販売」という売り手視点の存在価値であったが、買い手視点の存在価値として、自動「購入」機というものを考えるとどうだろうか。そうするとコンビニエンスストアと競合する利便性のレッドオーシャンから脱却し、新たな存在価値を手にすることができるかもしれない。(Amazon Dash Buttonなどはもしかしたらその先駆け的存在といえるかもしれない)

幾分か突飛な発想も含まれているが、自動販売機に限らず、例えば駅の券売機やエレベーター/エスカレーターなど、今普通に使っている機械がこれからどうなっていくか、どうなると私たちの暮らしの風景は劇的に変化するのか、それらを想像することで新しい豊かな未来が拓けてくるのではないだろうか。これらの陳腐化し消えゆく可能性のあるモノについては、イノベーションの中でも破壊的イノベーションによって今までの存在価値を大きく変容させることが求められる。変容させる上では、自動販売機の例で挙げたように、既存の問題点と言われている部分に対して全く異なる領域から光を当ててチャンスに変え、発揮できる価値を模索することや、売り手視点で語られていたモノを買い手視点で捉え直すことで新しい形態や機能に進化させることなどが重要になってくるだろう。技術革新が加速度的に進みゆく昨今において、これから自動化が進む領域はどこか、だけではなく、これから陳腐化してゆく可能性のあるモノに対してこのような視点を常に持ち、新たな未来の可能性についてこれからも模索を続けていきたい。

ハッピーホーム

2018年11月 9日 (金)

深刻化するマイクロプラスチック問題

現在、東京湾に限らず、近海小魚腹を割けば、必ずと言っていいほどマイクロプラスチックが出てくる。海洋に漂うレジ袋、ペットボトル、更には、釣り糸や漁網も含め、これらの元製品たちが波と紫外線などの作用で5ミリ以下のマイクロプラスチックとして海中に増え続けている。ここ数年世界的にも問題視されるようになり、今年のG7首脳会議では、2040年までにプラスチック容器のリサイクル率を100%にするとした「海洋プラスチック憲章」が提案されるも、日本と米国は未承認である。
環境保全の観点から、最も問題視されていることは、プラスティックが有害化学物質を吸着する性質を持っている点にある。よって、マイクロプラスチックを食べてしまう海の生物の生態系に変化が生じる事が危惧されている。
プラスティックゴミの海洋流出が多い国の上位5か国は全てアジアの国々(中国、ベトナム、フィリピン、インドネシア、スリランカ)である。しかし、これらアジア諸国が使い捨てプラ製品の量を減らすことをすぐに期待することはできまい。これ以上のプラゴミを出さないようにするためには、使用量を減らすか、確実に回収し再利用するか、プラ製品に代わる生分解可能な素材に代えていくかしかないだろう。一日も早く、プラゴミを減らすには、プラゴミ問題の現状を世界的な社会問題化することが必要になる。そのためには、欧米諸国の政治的影響力と、グローバル企業が本腰を入れてこの問題に取り組むことが望まれる。日本では、スーパーのレジ袋の有料化策をとろうとしているが、これが解決に結びつくとは到底考えられない。ともすると、レジ袋の有料化は、プラゴミ問題ではなく、無駄排除論として受け取られかねず、地球環境を守るといった日本人のモラルに訴えかけることができずに終わる可能性すらある。日本人のモラルアップアップを伴いながら、プラゴミ問題を解決するには、日本人のモラルアップに影響力ある著名人が先導したり、代替品の素材開発を官民のプロジェクトとして始めたり、コンビニ袋を寄付金付きの再生紙に置き変えていくなど、日本人の価値観の変化を生み出すような知恵が欲しい。
ジャストアイデアになるが、デジタル化された社会問題解決プラットフォーム「「モラルアップ・クラウド」を始めてみるのもいいかもしれない。(モラルアップクラウドは、世界から影響力のある100人の賛同を集め、放置すれば環境悪化の一途を辿る難題に対し、影響力のある100人が情報を拡散する事で社会的問題を世界の人たちに意識させ、社会変化をもたらす仕組みをイメージしたもの)
プラゴミ問題は、従来のやり方では解決しないし、解決しようとすれば経済的にも政治的にも技術的にも、想像を超えた大きなエネルギーを要する。それゆえに、クラウドによるうねるの創出が求められる。社会的問題解決は、私たち一人ひとりの問題だ、成熟した日本社会であれば社会的問題を解決するうねりを生み出すことが可能だと信じ、影響力のある人たちにこの問題に関心をもってもらいたい。



クラウディア

2018年10月 1日 (月)

アカシアの一対一路

五月の大連は美しい。明日からはアカシア祭か……と思いながら、槐花大道と呼ばれる並木道を歩いていると、通りは、それを待ちきれないかのように人々が溢れ賑わっている。アカシア祭りのアカシアとは実はニセアカシアのことで、つまりは針槐のことだ。5月の大連市街はいたるところで針槐がいっせいに白い花を咲かせ、ここ槐花大道も甘い香りに包まれている。

 

ところで、私の祖父はバレエダンサーだった。明治生まれの大正育ちで、曾祖父が一代で築き上げた菓子屋の大店の一人息子だった。それが、店の跡も継がずバレエダンサーになると言い出して、妻子を残して東京に出ていったものだから、当然のことながら曽祖父から勘当される。やがて祖父は、興行のために、バレエダンサーとしてこの地、大連に立つ。結局、夢半ばにして、この地で鬼籍に入ってしまうのだが、そんな地縁が呼び寄せた旅だった。

 

とても天気が良かったので、私は南山まで足を延ばした。大連にいくつも残る旧日本人街の一つだ。海を見押す高台のベンチに腰掛けて大連の街を見渡すと、大連は大きかった。道幅も何もかも、都市としての規格が日本とは桁違いで、街路樹の豊かさにも圧倒された。いたるところには針槐の巨木が連なり、生い茂る葉は通りにアーケードをつくっている。木漏れ日に佇む煉瓦造りの家々には薔薇の花が咲き誇り、どこまでも美しい景観が続いている。開発も進んでいて、巨大な高層住宅群やオフィスビルも壮観だが、その一方で戦前の古い邸宅も多く残されていて、どこか懐かしい。

 

すると、大陸の広大な景色の中に、いくつもの青い光の道が見えてきた。北はハルピンからモンゴルへ、そしてロシアへと続いている。南は上海をはじめとする海岸沿いの巨大な都市群を貫いて南シナ海へ、そこからインド洋へと続いている。西は中央アジアを経てヨーロッパに続き、東は朝鮮半島を見渡して日本へと続いている。なるほど、大連を南端に置くかつての満州の、地政学的な意味が感じられる。

 

2007年から、中国版世界経済フォーラムとされている夏季ダボス会議が大連と天津で毎年交互に行われ、それが後押しするように、ここ大連では、北東アジアの国際航運センターや、国際物流センターや、地域金融センターなどの建設が進み始めた。

2013年に習近平主席が打ち出した一帯一路の構想が、2017年の共産党大会で中国の国家路線になると、この地の重要性は更に高まったように思える。

大連ソフトウェアパークを含む旅順南路ソフトウェア産業ベルトに巨大な市場を創出し、税制の優遇や人材育成のための資金提供を通して、豊富な資金力を持つ世界各国の大手ITベンダーを呼び込む計画も進んでいる。1社当たりの支援総額は1000万~2000万元ほどになるという。

そんなことをとつおいつしていると、かつて日本にも富をもたらしたシルクロードの活況がよみがえり、大連も要衝の一つとなる気がしてならない。新しい主役はIT産業だ。

 

欧州や中国のITベンダーが集い、新しいビジネスチャンスの蜜に群がる蜜蜂のごとき活況は、この街を訪れれば肌で感じることができるのだが、日本のITベンダーは大きく出遅れているようだ。

何人かのITベンダーの幹部と話をしてみたが、大連というよりは、中国に対する漠然とした印象があるのだろうか、慎重な意見が多かった。しかし、一言で中国といっても中国は広い。そして大連は、中国の中でも色々な意味で日本に近い。

例えば大連には、中国で唯一の中日文化交流協会がある。なぜ大連なのかというと、大連のある遼寧省を含む東北三省には、戦前多くの日本人が移り住んでいて、その子孫は今も多く、日本の文化にも馴染みが深い地域だからだ。また大連には、80年代の後半から90年代の前半にかけて、日本企業の投資が増えていたこともあり、日本語教育を行う機関が集中していた時期があった。今では英語が主流だが、日本語を使えるビジネスパーソンは少なくない。この土壌は、日本企業にとっても魅力があるはずだ。

 

公園のベンチから腰を上げて振り返ると、そこにも、たわわに花をつける針槐の木がある。針槐の花は、ひとつの花茎に沢山の花を集める房花だ。私はその一論を摘みとって口に含んでみた。香りの印象そのままの、甘い蜜の味がした。

 

方丈の庵

2018年9月 5日 (水)

M&Aの行方 ~ボルボの奇跡を演出した吉利汽車のマジック~

 北欧の自動車メーカー、ボルボの業績が絶好調です。ボルボは、1924年に発足した中堅自動車メーカーで、北欧クルマ作りで個性を放ち、世界中で親しまれているグローバルブランドです。これまでに幾多の経営危機に見舞われ、大手の自動車メーカーの戦略の狭間で翻弄されてきましたが、2010年の中国企業の買収を受け入れたことを契機に業績が回復し、2017年にはついに最高利益を記録しました。世界的な自動車販売競争の中で、ボルボが奇跡的に復活できた背景には何があったのでしょうか。

 

 ボルボは、サーブ社とともに、北欧スウェーデンを発祥とする自動車メーカーで、両者とも独自の雰囲気を纏った自動車をつくる企業として、市場に認知されていました(サーブは経営破綻の後に消滅)。メジャーと言われる世界規模の自動車メーカーではありませんが、年間数十万台を販売するユニークなメーカーでした。

 1926年に自動車メーカーのボルボが誕生し、ボルボブランドの乗用車製造が開始されました。ボルボの理念は、「ボルボ設計の基本は常に安全でなければならない」というもので、安全装備の開発、事故調査の実施と設計へのフィードバックを行うこととしていますが、走行中に「ヘラジカ」と衝突しても安全であること、という北欧特有の基準を実現する開発プロセスによってもたらされるものだともいわれています。各種安全装備に関して特許公開を行い、自動車の安全性に貢献していることは有名です。

 

 そのような独自性を有するボルボであっても、自動車業界で生き残り続けるのは一筋縄ではいきませんでした。

 この言葉に触発されたわけではないでしょうが、同年代には世界規模での自動車メーカーの再編機運が高まり、大規模メーカーが続々と小規模メーカーを傘下におさめるM&Aが進められました。日本のスバルの半分の規模しかなく経営危機に見舞われていたボルボは、時代の流れには逆らえず1999年に米フォードの傘下に入りました。しかし、フォードの資本や技術、販売ノウハウなどを活用できる環境を与えられたにもかかわらず、ボルボの業績は好転することはなく、リリースされるクルマも魅力に乏しく、徐々に人気と固定客を失っていきました。

 そして2008年にリーマンショックが襲い、世界的な規模で自動車販売が落ち込みはじめると、世界一だったGMは経営破綻しました。フォードの業績も急速に悪化し、不採算ブランドの整理が必要になりました。フォードは、深刻な経営難に直面していたボルボの救済先として、スウェーデン政府に支援を求めましたが、同政府はこれを一蹴しました。買収先が見つからなければブランドの存続も危うい事態でしたが、最終的には中国の浙江吉利控股集団(ジーリー・ホールディング)手を上げ、2010年に買収されました。北欧の名門自動車ブランドが、技術力が無くパクリ天国と揶揄される中国の新興自動車メーカーに買収されたことで、名門ブランドもこれで終わり、チャイナクオリティのクルマ製造会社に成り下がるという落胆の声が多かったといいます。

 

 しかし、吉利汽車による買収から7年たった現在、ボルボは見事に蘇り、空前の業績をたたき出すまでに回復しました。ボルボの作るクルマは、質実剛健のドイツメーカーが追随するほどのコンセプト、技術力、商品的な魅力に溢れ、輸入車としては初の「日本カーオブザイヤー」を受賞するまでの存在になりました。生産が注文においつかず、車種によっては半年以上のバックオーダーを抱えている状態です。M&Aの事例としては、異例の成功を実現しているわけですが、この成功はどこからきているのでしょうか。

 

 M&A後のボルボ大躍進の要因は2点に集約されます。一つ目は、買収後に吉利汽車の販売網を通してボルボ車を販売することで、一定の販売台数を見込めたことです。ボルボ車は中国国内でも高いブランドイメージがあり、吉利汽車ではそれを活用することが成功の近道だと考えたのでしょう。これはある意味当たり前の戦略です。

 そしてもう一つの最大の要因は吉利汽車の経営スタンスにあります。吉利汽車は、買収後のボルボに多額の開発資金を提供しましたが、その資金の使い方や自動車開発内容には一切の口を出さなかったことです。ボルボのクルマはフォード傘下時代に魅力を失っていたため、再浮上するためには魅力的なクルマを開発するしかありませんが、投資した資金によって開発された新型車が市場に投入されるのは、すくなくとも数年先になります。吉利汽車は、ボルボの買収に必要な18億ドルとその後の莫大な開発資金を確保するために、自己調達の資金だけでは足りず中国開発銀行からの融資も仰いでいますが、この投資から回収が始まるまでのタイムラグに絶えるだけの心臓に毛が生えた経営姿勢には感服せざるを得ません。

 

 M&A後は、早期の投資回収など、資本効率の追求が求められるため、統合後のシナジー効果の創出という名目で、自動車の場合であれば、設計や部品の共有、基本となる車台やエンジンの共同利用が行われることが一般的です。現にフォード傘下時代には、複数ブランドでのプラットフォームの共通化が行われ、当時傘下だったマツダやボルボが同じ車台を使い、上物のボディデザインを変えて新車としてリリースするような、いわゆる効率的物作りを行い、一台あたりの平均コストを下げるという手法が行われてきました。

 しかし、吉利汽車はそれを一切行いませんでした。驚くべきことにボルボは買収された後に新型エンジンと新しい車台(プラットフォーム)の新規開発を行っています。これは現代の効率的な自動車生産とは逆行しますが、中国メーカー由来のエンジンや車台の使用をボルボに押しつけないことが、独立した技術力をアピールできる効果的な手法だと考えたのかもしれません。

 このことで、フォード傘下で好きなことができずに悶々としていた技術者が発憤したという側面もあるでしょうが、自動車開発の様式が大きく代わり、コンピュータシミュレーションの発達と部品メーカーの技術力の向上も見逃せません(ボルボは日本のデンソーと組んで、先進技術の共同開発を行っている)。

 ボルボは豊富な資金を背景に闇雲に開発の幅を拡げるのではなく、プラットフォームを一つに集約して、セダン、ステーションワゴン、SUVを作り分けること、エンジンは2000CCだけに特化することとしました。そして自社のアイデンティティである安全装備はこれまで以上に徹底的に磨き上げることとし、それらに資金を集中させることにしました。この結果が数年後に先進装備満載で、他社以上の性能を実現したボルボの基幹車種であるV40、V70、完全な新型車XC60の大ヒットにつながり、ボルボの業績は一気に回復しました。元々インテリアデザインと安全性に強いというブランドイメージがあったので、あとは魅力的な新型車がでてくれば業績の回復は当然のことと言っていいでしょう。

 

 金だけ与えて一切口を出さない。これはボルボの技術力へのリスペクトが背景にあり、ボルボなら必ず復活できるという強い自信(というより確信)に裏打ちされたものです。そして何より心臓に毛が生えた図太い精神力が必要です。大きな成功事例を聞くことがない日本の大企業によるM&Aですが、それはがあるからなのかもしれません。サラリーマン経営者は、短ければ数年、長くても10年前後で経営から退くことになります。この短期間の中でやれることは限られており、自分の任期を何事もなく全うすればいいというマインドが醸成されやすい仕組みで、これでは骨太の経営者は育たないでしょう。何より自分自身に及ぶリスクをとってまで自社を成長させようとは思わないでしょう。日本企業が見放したシャープや三洋電機(家電部門)が、新興好業績企業の力ですぐにV字回復しているのを見ると、ますますそのように思いたくなります。

 ちなみにフォードがボルボを買収したときの買収額は64億ドル、吉利汽車への売却額は18億ドルで、フォードは企業価値を3割以下まで毀損させてしまいました。今、吉利汽車がボルボを売却しようとしたら、100億ドル以上の値が付くでしょう。売約する気など全くないと思いますが。

 

                                                  マンデー