2020年3月30日 (月)

自発性・有能感・関係性の醸成による目標達成

 我々は湧き出る願望や欲求を実現するために目標を立て行動を起こすが、このプロセスは終わりを見せない。それには大きく二つの理由がある。一つ目は目標達成が難しいからだ。目標は現状と理想のギャップを埋めるために立てられる。つまり、目標の達成プロセスでは行動の変革が求められる。しかし一度染みついた行動を変えるのは容易な事ではなく、なかなか目標が達成できない。我々はその目標を追い続けるか、別の目標を掲げることで新たなスタートを切る。二つ目は人々の願望や欲求は無くならないからだ。我々は目標が達成されるとより高い目標を新たに掲げその達成を目指す。

目標達成のプロセスは、まるで到達することのない漸近線へ向かう曲線に似ている。我々はこの終わりのない目標達成プロセスを理解しながらも、目標の達成有無によって自己肯定感を高めたり自己嫌悪に陥ったりする。その姿は滑稽にも思えるが、それが人間の宿命なのだろう。結局のところ、目標が達成されようがされまいが目標達成プロセスは終わらないのである。そうであるならばより多くの目標を達成して願望や欲求を実現したいと思うのが人の性だ。では目標達成には何が必要なのか。私が間近で体感した目標達成のプロセスからヒントを得ようと思う。

 目標を達成するには行動を変えなければならないが、行動を変えるには内発的動機づけの醸成が重要な要因となる。なぜなら行動を変えるには新たなマインドセットが必要だからだ。行動を変える過程では心理的痛みが伴うため、心の内側から湧き出る意欲や関心が無ければその痛みは克服できず、継続的な努力は見込めない。内発的動機づけを醸成する方法として、アメリカの心理学者であるエドワード・デシとリチャード・ライアンにより提唱された自己決定理論が参考になる。自己決定理論の核心は、人には生存のための生理的欲求の他に自律性・有能感・関係性を実感する心理的必要性があるという前提がある。この三要素は単なる欲求以上のものであり、自分自身が成長し,満足のいく自分らしい幸福な生き方をするために必要不可欠な要素である。三要素のいずれかが損なわれると、心身の不調や生活の満足や幸福の低下が生じ、逆に三要素が満たされれば満足のいく充実した人生が送れるとされる。

つまり、自律性・有能感・関係性の充足が内発的動機づけを醸成し行動の変革をもたらし、目標の達成に寄与すると言えるのではないか。では、目標達成プロセスにおける自律性・有能感・関係性とは何か。以下のように解釈してみた。

  • 自律性・・・自ら立てた規範をもとに行動をすることであり、規範とはなぜそれを目標とするのか、どこへ向かっているのか、何をすべきなのかを明らかにする、ブレない判断や行動につながる自らの価値観及び信念の事である。
  • 有能感・・・やり遂げる能力があると自らの価値を認める自尊心のことであり、自らの考えによる活動から得られた達成感は有能感を高め新たなチャレンジへと導く原動力となる。
  • 関係性・・・他の人と精神的につながっているという感覚のことであり、他者と繋がっていたい、良い関係を築きたい、貢献したいという周囲に対する欲求の事である。

これらの三要素が本当に目標達成に寄与するのか思考を巡らすと、プライベートにて仲間と実施した自己変革プロジェクト(減量または増量によって理想の体型を手に入れるための活動)が脳裏に浮かんだ。自己変革プロジェクトでは以下3点を重要要因とした。

     1.「目標の達成によって実現したいことが明確に描けていること」

     2.「やり遂げるための計画が明確に描けていること」

     3.「実現へ向けた活動を繰り返し行えていること」

上記3点はこれまでの経験から独自に導き出した要因であるが、プロジェクト成功のエッセンスを抽出してみると、どうも自律性・有能感・関係性を満たしていた事が関係しているように思える。これらの三要素を意識してプロジェクトを設計した訳ではないが、3つの要因が三要素を充実して内発的動機づけを醸成し、参加者の行動を変え、目標達成を導いたという構図がありそうなのだ。以下ではA氏の成功事例を交えてその根拠を紹介する。

 1.「目標の達成によって実現したいことが明確に描けていること」

 目標を達成することで何を成し遂げたいのかという志が無ければ人は変われないと考えていた私は、A氏との目標設定段階で志の具体化について多くの時間を割いた。なぜならA氏は過去の適正体重を基準にした「3カ月で体重-16kg」を目標としたのだが、何を実現したいのかは明確ではなかったからだ。そこで私は「その目標を達成して得られる未来は現在の自分を変えてまでも獲得したい姿なのか」という問いをA氏に投げかけ、A氏はそれ受けて変革した未来の自分を想像し志を言語化した。

このプロセスはA氏の自律性を高めていたと言えそうだ。過去の適正体重によって導かれた目標の値は過去の事実として目指す指標にはなるが、それだけでは適正体重を手に入れるための目的が明確ではない。ブレない判断や行動につながる自らの価値観や信念は醸成されておらず、自律性が満たされていない状況と言えるだろう。それに対して私の質問を受けたA氏はその核心に迫り、信念を固めた。A氏はその後の計画策定段階でより意欲的な姿勢は示していた事から、自律性が満たされていたと考えられる。

 2.「やり遂げるための計画が明確に描けていること」

 目標を達成する際には計画通りに行かないことも考慮して計画する必要がある。なぜなら高いモチベーションを保つのは難しく、そもそもの人の意思は有限なものだからだ。疲れている時や落ち込んでいる時、仕事が長引いたときなどをも想定した計画が練られていることが、真にやり遂げるための計画と言えるだろうと私は考えていた。そんな中、志の具現化で自律性を高めたA氏が最初に立てた日々の計画は「毎日ランニングする」というものであった。私はA氏の高揚感を阻害したくはなかったがこれに反対した。というのも、これまで全く運動していなかった人が毎日ランニングを継続できるとは考えにくく、また想定外の出来事が発生する事が想定される中「毎日」の計画は実施できなかった際の自己効力感低下に繋がると考えたためだ。A氏は私の意見を聞き入れ、本当にすべきこと、できそうなことを洗い出し日々の摂取カロリーの制限に辿り着いた。そして1日の上限摂取カロリーを設定し、それに伴い目標を「3カ月で体重-6kg」へと変更した。当初の目標を下げることにはなったが、活動が軌道に乗った際に目標を上方修正することで合意した。

活動を始めると、食事面で問題の多かったA氏にとってカロリー制限は非常に効果的ですぐに結果に表れたのだが、この経験はやればできるというA氏の有能感に繋がったと言えそうだ。実際にA氏は総カロリー以外の栄養面に興味を持ち、ケトジェニックダイエットという十分な量のタンパク質と大量の脂肪を摂取し、炭水化物を可能な限り避ける食事療法を取り入れた。A氏は自身にやり遂げる能力があると自尊心を高め、新たなチャレンジへと臨んだのだ。このケトジェニックダイエットで軌道に乗ったA氏が目標を上方修正しわずか2カ月で10kgの減量に成功したのは、有能感を得ながら計画を進められたからと考えられる。

 3.「実現へ向けた活動を繰り返し行えていること」

 元プロ野球選手のイチローさんがメジャーリーグ年間安打記録を破った際に発した『小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。』という言葉を耳にしたことはないだろうか。大偉業を成し遂げたイチローさんのこの言葉は実現へ向けた活動を繰り返し行うことの大切さ教えてくれる。しかし先ほども触れたが、行動を変えるには心理的痛みを伴う。これまでの生活習慣に新たな行動を取り入れることは容易ではないため、やり遂げるための計画を明確に立てるだけでは不十分だ。そこで私はプロジェクトメンバーを2つのチームに分け、LINEグループにて各々が1週間の計画を共有し、実施後にはそれを報告し、お互いに賞賛し合う仕組みを設けた。周囲との繋がりを持つことで喜びを分かち合い、辛いときは助け合うことで継続性を高めるためだ。

実際のところこの仕組みがA氏の継続性にどれほど貢献したかは定かではないが、影響は与えていたはずだ。マクロ栄養素に詳しいメンバーの情報発信がケトジェニックダイエットへの興味に繋がり、メンバーと共にトレーニングジムへ通った経験が自主的な継続的トレーニング実施に結びついていたと考えているからだ。月に1度私と同じタイミングで体内組成を測定したりもした。これらのプロセスは、A氏が他の人と精神的につながっているという感覚を実感するきっかけになっていたと考えられる。

 以上がA氏の成功事例となるが、3つの要因が三要素を充実して内発的動機づけを醸成し、行動を変え、目標達成を導いたという構図は確認できただろうか。A氏がもたらした成果は著しくその努力には誠に感服であるが、その裏には自発性・有能感・関係性を満たす仕組みが寄与していたと言えそうだ。A氏の成功は一例ではあり、自己変革プロジェクトの参加メンバー全員が成功したわけではないので、私が掲げた3つの要因が必ずしも重要ではないのかもしれない。A氏にとって重要な要因になったことに変わりはないが、目標達成においてより重要なことは自発性・有能感・関係性の三要素を満たす事であり、それらの醸成を個々人にあった方法で設計することなのかもしれない。

 

Chaser

2020年3月25日 (水)

既知の病では死なない世界の到来

これからは誰もが『人生100年時代』※1.を生きると言われている。その背景は、近年の医療やテクノロジーの発展によるものであるが、更にその先の医療の研究と治療技術の開発を考えると『人生100年』では“終わらない時代”(=病では死なない時代)がやってくるかもしれないと思える。
仮に、「病では死なない時代」が実現したならば、人間の世界はどのように変化するのかについて仮説的考察をしてみたい。(但し、本稿では、法律・倫理・思想・経済的・個人的事情といった観点は考慮せず、あくまでも医療やテクノロジーが発展した世界になった場合の“新しい世界”について想像を膨らませていることを先にお伝えしておく。)

まず初めに、これからの世界を3つのLife Phaseに分けてみた。
『Life Phase1:誰でも病による死が存在する世界』
『Life Phase2:医療の完成により“既知の病では”死なない世界』
『Life Phase3:医療の完成とテクノロジーの発展による未知の病も含めた不老不死の世界』

現在の世界は『Life Phase1:誰でも病による死が存在する世界』が該当しているのは言うまでもないが、がん等の死亡率が高い疾患を患ってしまった場合、多くの人が治療に専念するために仕事を制限する必要があり、治療後も再発リスクから常に“死”を意識して生きなければならなかった。

そして次に訪れると考える、『Life Phase2:既知の病では死なない世界』については、あるビジネスパーソンを想定したシチュエーションでイメージしてみることで、『Life Phase1』の世界との違いに着目してみたい。

40代半ばのビジネスパーソンであるあなたは、これまでの会社での功績が認められ、社運を賭けた大きなプロジェクトのマネジャーに大抜擢された。プロジェクトの完遂までを万全の体調で挑むため、人間ドックに行き、AI(人工知能)が搭載されたCT画像による診断を受けると、人間では見落としがちな小さな膵臓の腫瘍が発見された。幸い早期発見であったため、PET検査※2.で遠隔移転は無いと分かった。そして、幸運にも海外在住の世界的権威である医師が遠隔ロボットによる手術を執刀してくれることになり、膵臓の原発巣はきれいに切除された。遠隔ロボットによる手術痕は数センチで行われたため、入院期間は1週間程度で済み、退院後すぐに職場復帰を果たしたあなたは、3カ月ごとの定期CT検査、自身の遺伝子情報を用いたiPS細胞※3.で移植用臓器が造れる細胞バンクオプションを申し込んだ。そして、自身でもがん関連の常時フォローアップを行うウェアラブル端末を装着し、血液・排泄物をリアルタイムモニタリングしてくれる住設機器を自宅にセットすることにした。
大きなプロジェクトが無事に完遂した2年後、自身のウェアラブル端末からのアラートにより病院を受診し、がんの遠隔転移が見つかったが、早期発見であったため、がん細胞に直接働く免疫療法と、保存していた細胞から生成したiPS細胞を活用して、がん細胞があった部分の再生を行った。今後も、がん発症のリスクはあるものの、予防・診断・治療を早期に行う事が出来れば、病による“死”を恐れることなく生きることができるので、引き続き会社の第一線で様々な大プロジェクトに携わっていった。
数年後、『人生100年時代』の折り返し地点の50代になったあなたは、残りの50年のライフプランを見直した結果、体調の不安を感じることなく様々なことにチャレンジすることに楽しさを感じ、自らの会社を立ち上げることを決意し、これまでになく濃密な毎日を送るようになった。

というように、Life Phase2では、AI診断・遠隔ロボット手術・iPS細胞による再生医療といった医療の完成と、予防・経過観察をテクノロジーが補完することによって、『既知の病では死なない世界』となる。このような世界の実現に向けて、今の世の中では既に様々な研究や技術開発が行われており、あと数年後には実現されることは想像できることだろう。(とはいえ、Life Phase2では希少疾病や未知の病、突然死などによる“死のリスク”はまだ一定数存在はしており、“病による完全な不死時代”になるのは次のLife Phase3の世界となる。)

先ほどのビジネスパーソンのようなLife Phase2『既知の病では死なない世界』がいよいよ実現することにリアリティが出てきていることを考えると、私たちはLife Phase1からLife Phase2の変化点を生きていると言える。
Life Phase1からLife Phase2へ移行すると、『世界』が変わるだけでなく、『病による死との付き合い方』も変わる。Life Phase2では、これらの変化を受け入れて自分自身の価値観を変えなければ、充実した人生を全うできなくなる人が出てくるかもしれない。
そう考えると、Life Phase1からLife Phase2への移行を見据えて、変わるものと変わらないもの、変えるべきものと変えるべきではないものについて、これまでの固定概念を思い切って捨てて、改めて考えることが必要なのかもしれない。

333


※1.人生100年時代:『LIFE SHIFT』(https://book.toyokeizai.net/life-shift/about/)
※2.PET検査:㈳日本核医学会(https://www.pet-net.jp/pet_html/treat/pet.html)
※3.iPS細胞:京都大学iPS細胞細胞研究所(https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/research/yamanaka_summary.html)

2020年2月21日 (金)

50年後のおなかの中

 われわれは膨大な数の微生物と共生している。この微生物には細菌をはじめウイルスや真菌、場合によっては原虫や寄生虫まで含まれるが、その数や宿主との相互関係で最も重要なのは細菌である。人の体には重さ1~1.5㎏の100兆個以上の細菌が常在していると言われている。中でもその数、種類ともに最も豊富なのが消化官であり、人に定着している細菌の9割は消化官に生息し、腸内細菌叢(腸内フローラ)と呼ばれている。近年、次世代シークエンサーという遺伝子解析装置が登場し、この腸内フローラの解析技術が大幅に進展してきた。普段便を作るための臓器としか認識されていない方も多いかもしれないが、腸は全身の免疫を司る重要な役割を持ち、腸内での細菌同士のバランスは生活習慣や環境などさまざまな要因によって変化し、体全体に影響が出ることが最近の研究で明らかになっている。免疫系とも密接にかかわるため、病気の治療・予防などへの活用が期待されている。

 

 最近では人の便に着眼しビジネス化しようという試みもある。便に含まれる無数の細菌をがんの早期発見や、うつや自閉症、肥満などの生活習慣病、様々な病気の治療に用いるというものだ。今や便は“茶色いダイヤ”と呼ばれるほど、腸内細菌ビジネスでは熱い視線を注がれている。欧米では、良好な腸内細菌が含まれる便を潰瘍性大腸炎を患う患者の腸に移植し治療する便移植療法が始まっており、便が流通する便市場が形成され、移植のための便の売買が行われている。

 

将来腸内細菌は我々の生活をどのように変えてくれるのだろうか。今後研究が進み、病気やアレルギーに対する有効な細菌やその組み合わせの解明が進むと、食習慣を改善して体調を整えるために教えを請う先は、医師や管理栄養士等ではなく自身の腸に暮らす細菌に聞く時代がくるかもしれない。そのような未来ではIoT化されたスマートハウスで人の便を常にモニタリング・解析し、スマホアプリへ結果が届けてくれる。センサー費用は無料だが、細菌情報はパーソナルヘルスレコードとしてデータバンクへ情報提供される。アプリの月額費用は必要だが、本人の腸内細菌バランスを鑑み健康状態のビッグデータからアレルギー予防や健康維持のため本人に必要な特定乳酸菌を含む食品とレシピが勧められる。指示通りに調理して次の日から食べ始めると体調は改善し、お気に入りのレシピがまた増える。腸内細菌バランスから、免疫レベルの低下や特定の疾患に対するリスクの高まりを教えてくれるシステムが腸内環境を理想的な状態にしてくれるかもしれない。

疾患の多くは、人の遺伝子や生活習慣、さまざまなパラメーターが絡みあって発症すると考えられているため、一人一人の最適な腸内環境があり、将来われわれは病気にならないための最強の個別腸内デザインを把握でき、健康管理をしている時代がくるかもしれない。

エウロパ

2020年2月17日 (月)

五輪ノススメ

 2020年東京オリンピックまであと半年を切り、テレビや電車内の企業広告、街中でもいたるところでオリンピックのロゴなどを見かけるようになってきた。オリンピックという一大イベントを大きな商機と捉え、チャンスを逃すまいと戦略を練り準備をしている企業も多い。2017年に東京都が出した試算によると、2013年の開催決定から2030年までの18年間でその経済効果は約32兆円と言われており、この約32兆円の果実を授かろうと多くの企業が策を巡らし日々奔走するのは必定だろう。そのようなオリンピックムードの高まりの中で私が皆さんに改めて投げかけ足を止めて一度考えてもらいたいことを本稿では述べていきたい。それは、オリンピック開催による経済的側面に注力し、その果実をそのまま貪ることに終始するのではなく、オリンピックという果実を種とし、経済的な恩恵以上に国際社会において日本としてどのように力をつけ発揮していくきっかけとするかということである。

 

 というのも、その根底にある危機感には、昨今いろいろな面で叫ばれている日本という国の国力低下がある。日経新聞にも2019年5月29日付で「日本の競争力は世界30位、97年以降で最低 IMD調べ」というタイトルで記事が書かれていた。

 

 ご参考までに記事の内容を抜粋する。

 

  “スイスの有力ビジネススクールIMDは28日、2019年の世界競争力ランキングを発表した。日本の総合順位は30位と前年より5つ順位を下げ、比較可能な1997年以降では過去最低となった。企業の生産性の低さや経済成長の鈍化などが理由で、アジアの中での地盤沈下も鮮明になっている。”

 

 

 私はこういった国力低下の背景として大きな要因を占めているのが、日本国民のアイデンティティの希薄化にあるのではないかと思う。(なお、念のため、私自身は無宗教であり、何ら権力や組織に対する阿りは持たないので、本稿もそういう主旨ではないし徒然に思うことを書き連ねているので皆さんの刺激の一助としていただければ十分である。)

 

 日本という国が国力低下から脱するために必要な条件とは何であろうか。物事を考察する上ではタテ(時間:歴史視点)とヨコ(空間:グローバル視点)の視点で見ることが重要だが、まずタテの視点で見たときに歴史の中で国力と言わないまでも日本を動かし活性化させることができていたのは、いつの時代であっただろうか。私がすぐに浮かぶのは明治維新の倒幕運動や戦後復興による高度経済成長期の話である。細かい話は割愛するが、江戸幕府に対抗した運動を巻き起こした薩長土肥の維新志士たち、米国に追い付け追い越せで躍起になっていた日本国民たち、どちらも強い信念・精神性に下支えされることでそれが活力につながっていたのではないだろうか。ヨコの視点で見るならば、例えばベトナムとカンボジアなどはどうだろうか。ベトナムとカンボジアはどちらもフランス占領下にあった時代背景から紆余曲折を経て現在に至るが、カンボジアは一人当たりGDPで見ても東南アジアの中で一番低く、現状ベトナムの方が経済発展を遂げていると言える。あくまで私見だが、カンボジアにはなくてベトナムにあるものとして、決して定量化はできないものの、ベトナム戦争による、国民意識の高まりが、ベトナムという国における活性化の一助になっているのではないだろうか。

 

 タテヨコどちらでみても、何かしらへの対抗として芽生えたものであれ、国民(メンバー)のアイデンティティが国力(組織)活性化の重要なドライバーになるとするならば、今の日本はどうであろうか。

 

 日本人の精神性を表すキーワードは皆さんも様々浮かぶことだろう。そしてそれは欧米のそれとは明らかに異なっている。

 例えば、万物に神が宿るとする、“八百万神”の考え方はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教といった唯一神の考え方とは大きく異なる。調和の取れた世界を美とする“和”の精神はその考え方の影響を受けていると考えられるが、“和”の精神も日本人を表すキーワードの代表格だろう。ほかにも“死することと見つけたり”で有名な武士道なんかもそうかもしれない。陰陽の考え方でいうならば、欧米が“陽”の文化であることに対し、「もののあわれ」や「お蔭様で」という言葉に代表されるように日本は“陰”の文化であるといえる。世阿弥の“風姿花伝”の有名な1節に「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」とあるように、“陰”の美徳を大事にしてきた精神性がそこにはある。

 

 冒頭で“経済的効果という果実を貪るだけではなく、その種を国際社会における日本の力につなげていく”と述べたが、東京オリンピックというイベントを契機に、そういった精神性を今一度見つめ直し、国力復活への活力ドライバーとしていくことこそ重要ではないだろうか。実際、1964年の東京オリンピックの際も、目覚ましい経済発展を遂げていく一方でマナーが悪くなっていった日本国民(1964年 1月 23日当時の朝日新聞「天声人語」が,「このごろの日本の公衆道徳の乱れ方はひどい。自分さえラクなら他人のことは知るものか,という利己主義だらけになっては,いくら経済成長下だろうと技術革新下だろうと,住みよい社会になるわけがない。」と嘆いている。)に対し、官主導で公衆道徳,商業道徳,交通道徳を向上させ,国土美化と健康増進をめざすとする「オリンピック国民運動」を展開しており、経済的な価値だけでなく、精神性やモラリティに対する向上の良い契機となっていた過去がある。

 さらに付け加えるならば、活力へのドライバーにしていく上で、守りではなく攻める姿勢を持つことを常に意識していくことがポイントになるのではないだろうか。海外渡航が大罪である時代に吉田松陰は「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」と歌い、国を思い覚悟をもってロシア艦隊に乗り込み留学することを企図した。きっと吉田松陰の語る「大和魂」とは“大いなる和”を希求する攻めの精神性であり、「現状維持・やらない・波風立てない」ことによる“小なる和”を希求する守りの精神性ではないのではないかと思う。今の世界における“大いなる和”とは何で日本は何ができるのであろうか。

 

 私自身も日本に生まれた身として、この東京オリンピックというイベントを、何か浮足立って性急に果実を食べに行くのではなく、地に足をつけて自身のアイデンティティの根を生やすきっかけにし、今一度日本だからこそできることを考え、外国から来られる方々を歓待することにつなげていきたい。

ハッピーホーム

2020年2月 4日 (火)

東京neoミニマリスト

「大きいことはいいことだ」と言われていた時代があった。森永製菓が発売したエールチョコレートのCMソングの歌詞の一節である。今でも、森永製菓のMorinaga Digital Museum に次のような内容で掲載されている。

【エールチョコレート】

大きいことはいいことだ〜時代を映したヒットCM〜

昭和39年(1964)10月にアジアで初めて開催された東京オリンピックは、昭和40年代の日本の高度経済成長を世界中に知らしめるには絶好の幕開けとなる出来事だった。国民所得の急激な上昇による国民生活の変化は、西洋菓子市場では華やかなチョコレート合戦となって現れ、大手メーカーがヒット商品を競った。

森永は昭和39年1月、ハイクラウンチョコレートを発売し、業界にいち早く「質の時代」を開いたが、昭和40年代に入り、カカオ豆の輸入価格が下がってきたタイミングをとらえ、昭和42年の目玉商品として大型の板チョコ「エールチョコレート」の発売を決めた。

広告企画会議では、商品コンセプトである「従来の板チョコより一まわりほど大きくて値段は50円のお徳用」を、どのようにインパクトのある広告に展開するかが検討された。さまざまな議論の末、「今までの日本は、小さな幸せ、慎ましやかな幸せが美徳とされてきた。これまでにない速さで経済大国の道を歩みつつあるこれからは、もっとのびのびと胸を張って、大きいことはいいことだと主張しよう」という方向が決まった。そうして誕生したコマーシャルが、当時、型破りでひょうきんな指揮者として人気を博しつつあった山本直純を起用した「大きいことはいいことだ」のテレビCMだった。

経済の上昇気流に乗った日本を象徴するように、気球の上から1300人もの大群衆を指揮する山本センセイ…。ヒットするCMの裏には、キャラクターの魅力とともに、時代を的確にとらえた視点とメッセージがある。

以上、https://www.morinaga.co.jp/museum/

 

時代は変わり令和となった今、CMこそないが「小さいことはいいことだ」という暮らし方に都心で生活する若者からの注目を集めており、既に各種メディアで取り上げられている。

新聞記事の見出しは、「わずか3畳『極狭物件』無駄ない生活、若者に人気」、「広さ9平米の快適アパート スマホ生活これで十分」など、3畳一間のアパートで快適な暮らしをする若者に関する記事として紹介されていた。このような暮らし方が注目され始めたという事は、狭小物件に目をつけ供給し始めた企業があるという事に他ならない。ネットで調べてみると、狭小アパートを専門にした不動産企業や、狭小物件を新たに開発し、投資家向け物件として供給する企業も存在した。ある企業は、英国BBCのニュースで「The arm’s-length flats of Tokyo」として紹介されていた。海外メディアのニュースソースにもなる程、目新しい暮らし方だ。

不動産投資の観点から捉えると、都心の狭小地活用が最大のメリットだ。狭小地でアパートを建てた場合、部屋数が十分取れないため、不動産投資としては十分な利回りが期待できない。従って、アパート利用には不向きである。しかし、狭小アパートにするのであれば、話は別だ。通常二階建てで、20平米の1DKを4部屋しか取れないところ、3畳の1ルームであれば8部屋取れる可能性がある。そうすることで、全室入居時の収入額が上がるとともに、利回りも確保できるという事になる。あるネットの記事によると、入居率は99%を超えており、入居が決まるまでの時間も募集から2週間と記されており、通常の賃貸住宅と比べると魅力的な不動産投資物件である。

一方、狭小アパートでも生活が成り立つし、需要があると考えた企業はどこに目を付けたのか。それには、狭小アパートで生活が成り立つ理由を考えれば、ある程度理解することができる。

先ず、テクノロジーの進歩に支えられた新サービスの拡大が無関係ではない。端的に言えば、現代の暮らしには、これまで生活必需品と言われた三種の神器は必要なくなった。洗濯機はコインランドリー、車はカーシェア、その他デジタル家電(テレビ、DVDレコーダー、デジカメ等)は全てスマホで賄える。

また、都心にはコンビニエンスストアが数多ある上、そこにないモノはAmazonやメルカリを利用すれば全て揃う上、家まで届けてくれる。都心に暮らす若者にとっては、スペースを犠牲にしてでも、好立地に住むメリットを享受したいはずだと考え、そこに勝算を見出したのだ。

既に狭小アパートに住む入居者の声を拾ってみると「古くなったものは捨てればいい。クローゼットがなくても特に困らない。お風呂につかることもないのでシャワーブースで十分。狭いからエアコンをつければ、すぐに最適な温度になるし光熱費の無駄も省ける。食事は外食か、冷凍食品を買ってきてレンジで温めるだけなので、調理器具は一切いらない。テレビも洗濯機もいらない。」等々、狭小アパートに住んでみて特別困ったようなことはなく、むしろ新しい暮らし方を楽しんでいるように見える。新宿駅、恵比寿駅あたりであれば、20平米1ルームのマンションで12万円以上。これに対し、狭小アパートは6万円前後で見つかる。この金額差は大きいし、何よりも好立地に住めば交通アクセスが良く、移動に費やす時間も費用も減らす事ができる。毎月のランニングコストのメリットは大きい。

このような暮らし方をする若者を「東京neoミニマリスト」と名付けておく。いわゆるミニマリズムを体現する者ではない。あえて定義するなら「都心に住むことで得られるベネフィットを最大限享受するために、居住スペースを犠牲にし、ミニマリスト的生活様式になった生活者」という事になる。

「東京neoミニマリスト」は、不動産開発業者のイノベーションによって、創り出された新しいライフスタイルの1つだ。東京都の地価がこれから下落することは望めないのだとしたら、若者の財産は環境への変化対応力だ。居所・寝床が狭くても、一歩外に出れば世界で最も機能性に優れた街の中にいる自分がある。そう思えば、都心の好立地の狭小アパート程快適な暮らし方はないのかもしれない。

私たちは、何かを犠牲にすることで、新しいモノゴトを手に入れられるものだ。スペースばかりではない。自分の発想が狭小化していることに気づいたら、思い切って何かを捨ててみる事もいいかもしれないと考えさせられた。

 

DEN

2020年1月 6日 (月)

人材育成には『失敗』のデザインを

 先日、面白い記事を見かけたのだが、東京大学の池谷裕二教授によるネズミを使った学習実験の結果、「誤答の重要性」が、脳科学分野でも証明されつつあるらしい※1。主な証明内容は、以下の通りである。

 

 ・学習の初期段階で多く間違えた(失敗した)ネズミほどその後の学習が速くなる

 ・失敗をする時、同じ失敗を繰り返すのではなく、多様な失敗をしたネズミほど最終的な学習の成績がよい

 ・間違える時に熟考した方が学習が速くなる

 

この記事を読んだ時に、ふと、元大リーガーのイチロー選手のいくつかの名言を思い出した(下記ご参照)。

詰まるところ、彼は、失敗を悪だとは捉えずに、失敗(≒挑戦)し続けることを糧としているように思われる。

 

「遠回りすることってすごく大事ですよ。無駄なことって結局無駄じゃない。遠回りすることが一番の近道」

「まったくミスなしで上位にたどり着いたとしても、深みは出ない」

「4000のヒットを打つには僕の数字でいうと8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと自分なりに常に向き合ってきたこと、そういうことがあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思います」

「ヒットをたくさん打つようになってからは、甘い球を待てなくなりました。むずかしい球がくるまで待つという姿勢になっちゃったんです」

「僕なんて、まだまだできてないことのほうが多いですよ。でも、できなくていいんです。だって、できちゃったら終わっちゃいますからね。できないから、いいんですよ」

 

ネズミの学習実験やイチロー選手の話からもわかる通り、失敗は重要だ。但し、誤解してはいけないのは、その本質は「振り返り」にこそあるということだ。つまり、単に失敗を経験するだけでは意味がなく、そこから、自分自身の能力不足、スキルの未熟さに気づき、学び取ることが成長への第一歩なのである(ダニング=クルーガー効果)。この点、成功よりも失敗の方が学び取ろうとするインセンティブが働くことは、行動経済学の観点(損失回避性)から考えてみても納得がいく。

 

さて、ビジネスの世界ではどうだろうか。昨今、どの会社でも新規ビジネスや新規事業の重要性が謳われており、コンサルティング会社である我々もそのようなご相談をいただくケースが増えている。しかし、そのような華々しい号令とは裏腹に、失敗を恐れるあまり、実際には何も動き出せていない会社がごまんと存在する。「失敗は成功の母」とはよく言うものの、周囲を見渡してみても、イチロー選手のように、最初から失敗を望む人は少なく、失敗は絶対的に悪と捉えられるのが現実だ。これを人材育成の現場に置き換えてみると、同じようなことが起きていることに気付く。つまり、いかにその人に成功体験をさせるか?にばかり目を向けて、いかに失敗経験を積ませるか?についてはあまり議論がされていないということである。失敗こそが学びの源泉であるにも関わらずだ。

 

では、人材育成において、どうやって「失敗」をデザインしたらよいだろうか。企業の人材育成担当者、並びに育成責任を負う管理職は、以下を参考に、「失敗」をデザインしてみてはいかがだろうか。

  • Plan :失敗させたい職務経験を整理し、育成対象者にも伝える。※2
  • Encouragement :育成責任者には、失敗することを奨励させる(失敗して当たり前)
  • Experience :育成対象者に失敗させたい経験を伝えた上で、取り組ませる
  • Support :なぜ失敗したのか? どうしたら良かったのか? の振り返りを促す(サポートする)

 

 上記のうち、最も重要なのは、前述の通り「4.Support」であるが、最もハードルが高いのは、「2.Encouragement」であると考えられる。なぜなら、育成責任者の器と組織風土の影響を受け、これらは中々変えづらい性質を持っているからだ。近年、管理職層を中心としたインテグリティや組織風土・組織文化に関する課題が増えてきているが、いかに、ここに目を向けるかが、今後の人材育成のキーポイントになるのではないだろうか。

 

なお、同教授は、私たち哺乳類の脳の成長は、基本的に消去法、誤差学習※3であり、人工知能のディープラーニングも、すべて誤差学習である(人工知能は粛々と失敗をして、次に行う行動はできる限り正解に近づけるように試行錯誤しているだけ)という説明もしている。繰り返しではあるが、AIも然り、我々人間も、どんどん失敗を積み重ねていかないと、成長することは難しいということは、今更言うまでもない。

 

 かく言う私は毎日、もうじき2歳になる息子に「危ないからダメ」「良くないから止めて」というように、中々、失敗を許容することができておらず、反省を繰り返す日々を過ごしている。しかし、決して落ち込んでばかりはいない。なぜなら、これも私の失敗の経験であり、重要な学びである(と信じている)からだ。

 

 

<脚注>

※1:誤答の研究─脳科学の研究で分かった「失敗こそが学び」( https://kyoiku.sho.jp/14654/ )より

※2:人材が育つための要件として、職務経験7割、薫陶2割、研修1割という考えを参考

※3:消去法:「あれをやってはいけない」「これをやってはいけない」と、失敗を消去しながら成長をする

    誤差学習:何かを期待して行動した時に生じる期待との誤差を最小限にするように自分の行動を修正し、失敗を繰り返しては修正していく学習

 

ノラ猫

2019年12月 3日 (火)

IoT×キャッシュレスがもたらした近未来の「私」のライフスタイル

 今日は快晴で気温も暖かく、とても気持ち良い朝だ。普段より少し早く目が覚めたが、いつも通り8時になるとスマートスピーカーのSlexa(セレクサ)が起動し、クラシック音楽が自動で流れ出す。これまでは朝が苦手でけだるかったが、お気に入りのクラシック音楽に出会ってからは毎朝が快適だ。洗面所で顔を洗いキッチンへ向かうと、ポットのお水は既に加熱されており、マグカップにカフェラテの粉末を入れてお湯を注ぐ。ちょうどそのころ、昨夜の内にトースターにセットしていた食パン2枚が焼き終わった。1枚には実家の農家から届くブドウのジャムを塗り、もう1枚には冷蔵庫にあるハムを挟む。最後に棚にあるシリアルを適量入れ、牛乳を注ぐ。いつも同じ朝食を食べながらスマートフォンでニュースをチェックするのが朝の日課になっている。

 トイレや洗濯機、冷蔵庫、テレビ、エアコン、Slexaなど家中のあらゆる家電がスマートフォンと連動することができたのは、政府主導で開発・整備された決済システム「Gpay(ジーペイ)」のプラットホームによる効果が大きい。マイナンバーの個人認証を軸とする情報の一元管理と情報へのインターフェースを統一し、仕様を無償公開したことで全てのアプリケーションや機器類が接続可能となった。このGpayを経由することで様々なデータが蓄積され、それらを利用した様々なサービスが享受できる。また、全ての支払いはGpayを通して行われるようになったので、購入履歴を元に商品の購入頻度や消費ペースは自動で解析され、在庫切れの無いようにリマインドする機能もある。このGpayのおかげで、現金を単に無くすためのキャッシュレスから、生活を豊かにするための様々な情報の横断的な連携による新しい高付加価値サービスが実現することになった。

 例えば、あらゆる購買データが共通フォーマットで整理されているので家計簿はリアルタイムで自動生成される。毎月の予算額に応じたアラート設定も可能なため、大好きなチョコレートの消費をなんとか管理できている。最も、チョコレート購入の半分は新しい商品を手に取っていること、リピートする商品の8割はダークチョコであることも解析されているため、私の嗜好をくすぐるレコメンドが常に誘惑してくるのだが。(レコメンドの頻度や種類も自動で設定できる)

 家庭内の在庫管理機能はかなり重宝しており、朝食の買い忘れは無くなり、シャンプーや歯磨き粉などいつの間にか無くなってしまうような生活用品に関しても適切なタイミングで購入ができている。これまでは難しかった食事の管理も簡単になった。購買データから食品や料理のカロリーと栄養バランスを蓄積し、足りない栄養素のレコメンドや1日の摂取カロリー、推奨消費カロリーが算出される。そして体重や筋肉量の目標設定値を登録していると、これらをもとにトレーニングメニューが提示される。 トレーニング後には実稼働量や体内組成計で測った情報から、今の生活を続けると数か月後にはどのくらいのボディーバランスになっているのかを解析してくれる。算出されたデータを基に常に生活習慣を改めているので病院に通うことも少なくなった。

 病院へ行く場合はGpayから病院の予約ができる。他の病院での診察や投薬履歴が蓄積されているので、既往歴や手術の有無、アレルギー、妊娠有無、通年での健診の数値など、問診票の記載やお薬手帳の管理は不要となり、医師のPCには全てのカルテが表示される。運転免許の取得や更新時に必要な視力検査もこの結果を使えば不要となり、生命保険料は普段の生活習慣や健康診断の結果を基にした健康指数に応じて金額が決まるので、より一層健康に気遣うようなった。また、年間の医療費が10万円を超える年の医療費控除はもとより、生命保険料控除や住宅ローン控除、ふるさと納税などの寄付金控除、副業収入なども全てGpayにて管理されているので確定申告そのものが無くなった。

 

 朝食を終えて身支度をし、会社の命運を左右するA社との大事な商談のために品川へ向かう。ぎりぎりまでプレゼンテーションの準備をしたかったので電車ではなく自宅からタクシーを利用しようと昨日の内に予約していた。行先と送迎時刻は予約時に予め入力しているので、家を出るときには自動運転タクシーが待ち構えている。車内に乗り出して専用の端末にGpayをかざすと「本日の目的地は○○でよろしいですか」と音声で行先の確認をされたので、「はい」と返答しタクシーが出発した。

 道中は、内装されている26型ディスプレイとスマートフォンを接続し、本日のプレゼンテーション資料を投影してリハーサルを入念に行う。リハーサルに対して、スマートフォンに搭載されているAIからフィードバックをもらうこともできる。このAIはおすすめのお店のレコメンド、音楽の選曲、ニュースや映画の配信、恋愛相談、渋滞を避けたナビゲーションなど用途は多岐にわたり、会社や家庭でも愛用されているAIである。このAIはとても優秀で、皮肉にも一部の上司よりも真っ当なフィードバックをくれるので仕事においても重宝している。

 そうこうしているうちにタクシーは現地に到着したが、支払いはもちろん自動で引き落とされる。今回のタクシー料金は会社へと請求するため「交通費精算」というカテゴリに割り振られた。そして会社のGpayと私のGpayは連動しているため、「交通費精算」というワードを拾って自動で会社へと請求されるのだ。実際の精算タイミングは会社の方針に合わせて1カ月に1回や都度精算などの設定が可能であり、どのプロジェクトのための移動であるのかという情報は仕事用のカレンダーと連動して自動認識する。

 AIの的確なフィードバックのおかげで本日の商談は無事成功した。そして新たなスタートを切るべく、場所を変えて懇親会が行われることになった。急遽お店を予約することになったが、先述のAIがさくっと検索して候補をくれたのですぐに予約ができた。食べ物のジャンルや雰囲気の嗜好まで細かく探してくれるため、想像した通りのお店だった。入店時にはGpayをかざすことで飲み会モードに切り替え、何を注文したかもわかるようにしておく。というのも、飲み会の時は普段の食事管理を忘れて良いマイルールがあるのだが、やっぱり健康は気になるのでレコメンド機能は欠かせない。こうしておくと、飲み過ぎだからお水を飲みなさいだとか、肝臓のアルコール分解を助けるためにメチオニンを含む枝豆を注文しなさいだとか、栄養もあって満腹になるアボカドを注文しなさい、など体調を気遣ってくれる。AIのおかげで思い描いた飲み会ができ、レコメンド機能のおかげで気持ち良い酔い具合だ。お会計は各々のGpayを活用することで傾斜をつけるとか、経費精算とする場合でも簡単な操作で対応が可能だ。

 家に帰ると電気が自動でつき、ジャズミュージックが流れる。実は朝のクラシックと夜のジャズは、購入履歴やこれまでに蓄積されたデータから私の人物像や現在の状態を解析し、適した音楽を選択してくれたものだ。その効果は歴然で、眠りの深さと疲労回復度の値は従来に比べて改善されていることが睡眠アプリからみてとれる。

 

 Gpayは、生活の利便性を大きく向上させてくれるとともに、データが蓄積されればされるほど適切な提示をしてくれる専属秘書のような存在だ。人々の生活から現金がなくなり、取引がデジタル化された。アプリやクレジットカードとの連携や決済ルール、レコメンドの有無や分析したい情報など、Gpayの使い方は個々人で自在にカスタマイズでき、自分のライフスタイルに合った支出管理が可能である。従来までの「点」の取引を「線」の取引へと変革し、IoTとの連動で生活の質が格段に上がった。キャッシュレスを単純な「現金を無くす施策」として捉えるのではなく、生活情報を連携・共有・活用することの理想を追求したことによって誕生したこのGpayを起点に、これからも様々なアプリやサービスが産み出され、いままでに考えられなかったような便利で快適な生活が今後も提案されるに違いない。

※当コラムは、最新の情報を元に近未来のライフスタイルの向かうべき形態を推測したもので、GpayやSlexaは架空のものです(実現可能性は未知数です)

 

Chaser

2019年11月18日 (月)

DXの理(ことわり)、日本の課題

 多くの企業で、様々なメディアで、DX(Digital Transformation)の発展を求める声が喧しい。DXが人々の暮らしをより良い方向に激変させるのだという。スウェーデンのエリック・ストルターマン教授が2004年に発表した『Information Technology and the Good Life』で提唱した概念だ。15年も前の論文である。遡ること1995年、マサチューセッツ工科大学メディアラボ創設者ニコラス・ネグロポンテ氏は、当時ベストセラーとなった著書『ビーイング・デジタル』で、アトムの生態系からビットの生態系へと相転移する世界観を展開していた。更に遡れば、1980年代に喧伝されていたマルチメディアもよく似た概念であり、最近のDXの発展を求める声には既視感がある。DXは決して新しい概念ではない。

それが今になって時代のキーワードのように取り上げられている背景には、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)や、BAT(Baidu、Alibaba、Tencent)など、メガ・プラットフォーマーの台頭がある。民泊サービスのAirbnbや配車サービスのUberなどが、デジタルテクノロジーによって既存のビジネスモデルを破壊しながら爆発的に成長していることもDXを時代のキーワードに押し上げた。企業ではCDO(Chief Digital Officer)と呼ばれる職務が注目され、デジタル人材を求める採用戦線も熱気を帯びている。四半世紀以上も前から提唱されてきた概念の実現化をデジタルテクノロジーの進歩が加速させはじめた、ということなのだろう。

 一方、日本の産業界ではGAFAやBATのようなグローバルな市場で活躍する企業がなかなか現れてこないことが問題視されている。その焦燥感はメディアの論調にも滲む。企業でDXに取り組む幹部たちの目には、羨望の色だけではなく諦念感さえ漂っている。

 

 DXで成功しているビジネスモデルを抽象化してみると、どれもが3つの要素とそれらを繋ぐ価値連鎖によって成り立っているように思える。一つ目の要素は、人々が生成するコンテンツや行動の履歴、あるいは生体情報や財産情報などを蓄積する情報基盤だ。二つ目の要素は、それらの情報を分析して新たな製品やサービスを創出する開発システムだ。三つ目の要素は、個々人の欲求に適した製品やサービスなどを提供するデリバリーシステムだ。提供された製品やサービスへの評価は情報基盤に還元されて価値連鎖を形成する。そして、Big DataやAIやIOTやCLOUDなどのデジタルテクノロジーの進歩が価値連鎖を軽やかにしていく。DXとは、このような価値連鎖を人々の暮らしの中で実現していくことと言えそうだ。消費の仕方、製品やサービスの提供方法、個人の稼ぎ方、社員の働き方、企業間の連携方法、投資の仕方、企業と社員の関わり方、貨幣流通の在り方、人やモノの移動方法、人の成長、社風やモチベーションのつくり方、経験知の活用方法など、人々の暮らしのあらゆる場面でデジタルテクノロジーによる価値連鎖を実現していくのである。

 DXで成功しているビジネスモデルからは、もう一つの共通性を見出すことが出来る。形成された価値連鎖は様々なデジタルプレイヤーの相互の乗り入れが可能で、そこから新たなビジネスを次々と生み出しており、既存の産業分類に収まらない。価値連鎖を新たな産業を共創するデジタル生態系へと拡張させているのだ。中国の4大保険業者である中国平安(ピンアン)や無人コンビニ店の運営を展開している大手EC企業の京東(ジンドン)などもその代表例と言えるだろう。例えば中国平安はひとつのIDで活用できる100種類ものアプリを公開しており、それらは健康維持や生活利便性の向上にも役立つという。中国平安が形成する価値連鎖も旧来の生命保険業界の枠には収まらない。このようなデジタル生態系の動きを見ていると、巨大な細胞培養器の中の活発な生命活動を覗き込んでいるような気がしてくる。

 日本企業のDXへの取り組みはどうだろうか。既存のビジネスモデルの延命策的な改善や部分的なDX活用のパッチワークに留まっており、レッドオーシャンの中にスモールワールドをこしらえて小競り合いを繰り返しているようにしか見えない。その背景には顧客の個人情報に対する囲い込みの論理がある。小さな囲い込みがひしめき合っている日本の産業界からはグローバルな市場で活躍する企業が現れないことも頷ける。最近ヤフーとLINEの統合が取りざたされているが、国内の消費者の一部が多少なりとも決済の利便性を享受できるレベルだ。DXで成功している海外の企業にも囲い込みの論理は働いているが、自社の顧客だけに固執しておらず、世界人口の中で産業の枠を越えたシェアの獲得を想定しているように見える。ようするに囲い込みの規模が桁違いなのだ。日本企業にもそのような発想がないわけではない。しかし、精緻につくり上げてきた既存のビジネスモデルとのカニバリを恐れる気持ちも加わって、思い切った投資を妨げているのだろう。所謂イノベーションのジレンマだ。では、日本企業の打開策はどこに見出すことができるのだろうか。

 

 デジタル生態系の中で価値連鎖が拡大していく過程には一定の法則性がある。4つのプロセスと、それぞれのプロセス毎に3つのステップがあり、それらがスパイラルアップしていくのだ。このスパイラルアップは四半世紀も前から始まっており、これからも加速度的に拡大していくだろう。そして、スパイラルアップのボトルネックに日本の課題が見えてくる。

 一つ目のプロセスは「デジタル資産の境界消失」だ。そこには、情報ヒエラルキーの消失と、情報の縦割り構造の消失と、情報流通の活発化の3つのステップがある。例えば、病院や薬局や健康サービス機関などがそれぞれに囲い込んでいるパーソナル・ヘルス・レコードの境界線が消えていくことを想像して頂ければ分かり易いだろう。二つ目のプロセスは「デジタル資産の共有化」だ。そこには、繋がりの拡大と、情報管理の再編と、個人情報の統合化の3つのステップがある。分散しているパーソナル・ヘルス・レコードが1つのIDで消費レコードや信用情報など様々な個人情報と繋がっていく、様々な決済がワンストップで出来るようになる、そんなイメージだ。三つ目のプロセスは、「デジタル資産の活用化」だ。そこにはデジタル資産の用途拡大と、用途の個への最適化と、簡便性の高度化の3つのステップがある。このプロセスでB2MEが完成する。最後のプロセスは「アナログ資産の復興化」だ。そこには、アナログ価値の見直しと、アナログ価値の向上と、デジタル価値とアナログ価値の調和の3つのステップがある。DXで成功している中国企業は今、日本の生活文化や芸術や観光資源などのアナログ価値を求めており、デジタル生態系の中に取り込むために投資の触手を伸ばしているという。

 日本と日本の企業がDXで成功するための鍵は一つ目のプロセスにあるのではないだろうか。小さな囲い込みの中でガラパゴス的に蓄積され互換性に乏しいデジタル資産は、囲いの中ではクオリティデータであっても本当の意味でのBig Dataにはなっておらず、囲いを取り払った瞬間にジャンクデータとなってしまうのだ。先ずは、企業や産業や行政機関の壁を越えて、それぞれが囲い込んできたデジタル資産をクオリティデータとして活用できる情報基盤の整備が喫緊の課題だろう。 情報基盤の整備は、日米の関係性を見てもGAFAがつくり上げてきたデジタル生態系との互換性を持たせるべきではないだろうか。精緻に構築されてきたレガシーシステムの上に成り立っている日本のIT環境を考えると、境界無きクオリティデータの基盤整備は簡単ではないが焦る必要はない。急速に進歩するデジタルテクノロジーだが、セキュリティの問題を筆頭にまだまだ課題は山積しており発展途上だ。ウサギとカメの話ではないが、進歩の先行きをしっかりと見極めながらじっくりと取り組めば良い。それこそが日本の得意とするスタイルだ。

一方、国家戦略レベルの取り組みを通してデジタルテクノロジーの進歩に対する日本の影響力を高めていくことも必要ではないだろうか。例えば量子コンピューターの実用化などだ。暗号解読のリスクが懸念される量子コンピューターだが、逆手にとってセキュリティ強化への活用もあり得る。一つ目のプロセスを推し進めていく上でセキュリティの強化は極めて重要な問題になるため、セキュリティ問題の解決に着目した量子コンピューターの実用化研究などにフォーカスするのだ。

一つ目のプロセスで課題を克服していけば、二つ目のプロセスは自然と動き出す。しかし、その際に必要となるのが個人情報に対する理念の確立だ。EUでは2018年5月25日から「GDPR:General Data Protection Regulation(一般データ保護規則)」が施行され、サーバー犯罪の悪質化や、スマートフォンなどの普及による通信ネットワーク上における秘匿情報の増加を背景に、個人情報を集めたり処理したりする企業に対して様々な義務が課せられるようになった。GDPRの下では個々人は「忘れられる権利」を持つことになるが、これが「表現の自由」を抵触するとして物議を醸しておりGAFAの動向にも影響を与えている。日本も、デジタル生態系の規範となるような理念を打ち出すべく英知を結集しなければならない。案外そんなことがブレイクスルーのきっかけになるのかもしれない。

 

方丈の庵

2019年11月 5日 (火)

国破れて(衰退して)山河あり ~急速に山林に飲み込まれていくニッポン~

 近年、野生動物(特にサル、イノシシ、シカ、クマなど)が人家付近まで進出し、食べ物を奪ったり、ゴミ取集場を漁ったり、農作物を食い荒らしたといったニュースを耳にすることが多くなりました。ヒトに危害を加えて大けがをさせ、地元のハンターに駆除されたというものも多々あります。野生のサルは、以前から人間の居住地域や観光地などで見かけることもありましたが、最近ではイノシシやシカも居住地域に出没するようになり、農作物への新たな脅威となっています。イノシシは豚コレラの媒介主とも言われており、人間の食糧生産や養豚事業にも暗い影を落としています。

 2019年は、特にクマの出没という話題が多かったように思います。北海道では札幌市内の住宅街にヒグマが出没し、知床ではヒグマが観光地に頻繁に出没し、現れたヒグマに餌を与える観光客が動画投稿サイトに上がっていました。本州でもツキノワグマの目撃例が後を絶たず、以前よりも人間の居住地に近い場所にまで現れています。

 

 野生動物が身近なところまで出没し始めた原因としては、野生動物の食糧事情により、食料が潤沢で容易に手に入る農地や居住地に進出してきているというのが一般的な見方ですが、最も大きな要因は野生動物の個体数が大幅に増加しているということです。 これは狩猟人口の高齢化、山林を管理する林業の人口が激減していることによる森の放置があげられますが、実は獣の捕獲頭数は右肩上がりで、捕っても駆除しても個体数は減るどころか増えているのが現実なのです。特に強い繁殖力をもつイノシシは、もの凄いペースで増えています。人間が見放した山林では自然が一気に回復(人工的なものが風化)し、爆発的に野生動物が増えて、今や手が付けらない状態なのです。

 

 なぜ、このような状態になったのでしょうか?

 これまでは、人間が長い時間をかけて山林を伐採して住宅地や農地にし、さらに鉄道や道路、堤防やダムなどを建設することで、人間が住みやすいように、便利になるように、自然界を改造してきました。これにより山林の生態系が破壊され、動物が食料を見つけにくく、住みにくく、子孫を残しにくい環境となり、多くの野生動物の個体数が激減しました。一部の種は絶滅か絶滅危惧種となるまで追い込まれました。このように自然を人工的に改造することで、野生動物を山奥に追い込み、人間が彼らの脅威にさらされず、存在を意識することない生活を獲得することにつながっていました。

 しかし、人間の活動の主領域が都市部に移動し、さらに第一次産業(農林業)が衰退したことによって、多くの山林が野生動物に実質的に“返還”されることとなり、破壊した自然が回復しはじめ、野生動物の個体数が増加に転ずることになりました。増えたのは古来からの人間の領域には近づかない警戒心の強い野生動物だけではなく、人間の領域も重要な食料調達場所として認識して、警戒心が比較的希薄な新しいタイプの野生動物達も現れました。自然の厳しい環境の中で、少ない食料を奪い合うよりは、多少のリスクはあっても食料となる農作物や食料ゴミが簡単に手に入る人間の領域を選ぶ個体もあり、特にイノシシやシカはその傾向が強いようです。

 

 人間の都市が野生動物の脅威にさらされていた時代は、都市が拡大し自然を侵食し始めた江戸中期から明治まで遡ることになります。そこは、人間が夜でも安心して暮らせる都市部と、野生に隣接し夜になると野生動物の脅威にさらされる都市を取り巻く郊外エリア、さらに人間が入りこむことが難しい野生動物が主役のエリアに分かれていました。都市部は夜でも安全ですが、それ以外はなんらかの方法で人間の安全を確保する必要があります。

 例えば、富士山や世界遺産に代表される歴史的建造物を中心とした観光地は、都市部から離れ山林に囲まれているので、野生動物の領域を隣り合わせです。これらは、安全に観光できるように、野生動物から観光客を守るための仕組みや人員を配置することになります。そのためには多額のコストがかかるため、維持メンテナンス料金を徴収することになるでしょう。また、キャンプや釣り、登山など鬱蒼とした山に入るという行為は、野生動物との遭遇や襲撃リスクが非常に大きくなります。現在でもクマ出没などの看板も見られます。登山者はクマ除け鈴などを付けて安全に気を使っていますが、滅多に出会うことはないだろうという潜入感が先行しています。しかし、クマの個体数が増えれば、クマ除け鈴だけでは危なくて山には入ることはできなくなるでしょう。避暑地にある高級別荘地もほとんどが山林に囲まれ他エリアにあり、シカやイノシシの被害は深刻だといわれています。

 2019年は台風に猛威にさらされた房総半島もイノシシの被害が深刻な地域で、特にタケノコや山菜などはほとんど食い荒らされている状態です。今回の台風被害で山里近くの宅地を放棄するする人が多くなれば、これらもやがて森に還っていくことになります。

 東京都でも郊外に行けば多摩丘陵の深い森が近い場所も多く過疎化が進行している地域もあり、それらはやがて限界集落になり廃墟と化して、自然に飲み込まれるでしょう。

 自然に飲み込まれた地域は、人が住むには適さない常に野生動物の危険にさらされる環境となり、自己防護手段をもたない服装や装備で踏み込めば、命の危険を覚悟しなくてはならない世界となるのです。

 

 この「日本列島の山林化」ともいえる現象に対する有効な対策として、スマートシティによる共存を考える人は多いのではないでしょうか。スマートシティは、エネルギーの自給や効率的なモビリティが配置されるなど、人間の住みやすさや安心を追求したもので、「進撃の巨人」にでてくるような防壁で囲うことで獣害への対抗策となります。しかし、獣の侵入は食い止めたとしても、「日本列島の山林化」はスマートシティの外で進行するので、マクロ的な観点では効果は限定的で、人間の安全は確保されても十分な食料が供給されないというような事態も考えられます。そういう意味では、今後はスマートシティコンセプトだけでなく、水、飼料、エネルギーを自給でき獣害から農作物や家畜を守る「スマートファームランド」、「スマートランチ(牧場)」なども必要になります。

 

 「日本列島の山林化」を食い止める最も有効な対策は、皮肉なことですが、人間がこれまで行ってきた山林を収める手立てを講じて、自然界における個体数増加機能を人間の管理下に置くこと(つまり人間の活動領域とすることで、自然を人間の都合のよいように改造すること)しかありません。要は人工的な開発を行って自然にダメージ(環境を破壊する)を与えるということです。過去にこれができたのは、急速に人口が増えていたことと、欧米列強に追いつくために急速に近代化、工業化しなくてはならない国家の事情があり、それらが自然を破壊し、野生動物の脅威を抑止していたのです。しかし、今の日本の経済状態、樹木の需要、日本の人口動態や高齢化の進行を考えても、山林を切り拓く必然性がなく、山林の整備に投入するお金や人員は、減少することはあっても増えることはないでしょう。経済発展の行きつく先として、国内の一次産業に頼らない産業構造と都市部を目指す人の流れ、そして人口減少によって、拡げ過ぎた人間の領域を自然界に還すという極めて自然な行為が行われているにすぎないのです。

 

 人間がその叡智による科学力で、野生動物を屈服させて森の奥に追いやり細々と暮らすことを強いてきました。しかし、人間が日本国土を我がものとして謳歌した時代はすこしずつ終わりに近づき、野生の脅威に正面方向き合っていかなくてはならない時代が再び始まりました。これからは、特に山間部では銃器やナイフなどを携行することが当たり前となり、鳥獣保護の法律も大きく見直されることになるでしょう。それでも増えはじめた個体の増殖を止めることは容易なことではなく、やがてかつてあったような壮大な“手つかず”の森が再生されることになります。

 内閣府の人口予測によると、2060年には8674万人になるとされています。人口減少と並行して都市部への人口移動が加速し、不要になる約4000万人分の居住エリアは、限界集落を経て自然に戻ることになります。その頃には、8500万人が住めるだけの居住地と大都市間の往来や事業活動にかかわるインフラが人間のものとなり、残った国土は人間が容易には踏み込めない深い森と、野生動物が支配する領域になるのです。

 

マンデー

 

2019年10月25日 (金)

リユースカップにおける普及の壁

リユースカップをご存知だろうか?文字通り一回使用したカップを捨てずに洗い、何度も使用するカップのことである。“必要ないものはつくらない、もらわない、捨てない“といったリデュース(買い物時のエコバッグの活用など)の考え方と本質的に同じである。まだ社会的な認知度は低いが、利用し始めている企業もある。

導入している企業では、福利厚生の一環として設定している給茶器(ドリンクサーバー)に、使い捨て紙コップに変えてリユースカップを使用している。

実際の利用方法は、紙カップの時とさほど変わらない。唯一の違いは、使用済みカップをゴミ箱に捨てることが、専用回収ボックスに入れるくらいであり、利用者の社員にとって過度な負担を強いる様子はない。

次に、回収ボックスに集められたカップだが、先ず回収ボックスから建物の共有ゴミ置き場に一時的に保管される。そこに回収専門業者がリユースカップの集荷に訪れ、専用工場に持ち込まれる。専用工場内では、リユースカップの滅菌と洗浄を施された後、給茶器設置用にパッキングされ、再びオフィスに届けられていく。基本的にはこの繰り返しによってリユースを実現している。

一方、リユースカップの普及具合をみると、その例はまだまだごく僅かである。先行して導入した企業では、都内近郊4か所のオフィスで利用しているが、2012年の導入以降、他社への広がりはみせていない。企業から廃棄されるゴミの総量を減らし、“必要ないものはつくらない、もらわない、捨てない“といったリデュースの概念に沿った活動であり大企業にとって、SDGs理念にも合致しているのだが、普及を阻む問題が幾つかある。中でも大きな問題になっていると思われる点を3つにまとめてみた。

1)費用の問題

まずリユースカップは紙コップと比較すると価格が高い。リユースカップは、1日100個以上の使用で1個あたり9円~11円の金額で提供(洗浄・運搬費込み)されており、通常の紙コップと比較すると、5倍近い価格である。この価格差では、いくら環境保全に意識を向けている会社でも即導入とはなりにくい。先行して導入した企業が日本で使用するようになった経緯をみると、外資系企業であり、既に海外支社でリユースカップが使用されている実績があり、環境保全を全社的に取り組む姿勢を広く社会に公表している。例えコスト増になったとしても目的が明確なため導入できていると考えられる。いくら社会的意義があったとしても、日本企業においてこの価格差を経営層が納得するには、今暫く時間が必要だと思われる。

また、この問題の根底には、1997年に施行された容器包装リサイクル法が関係している。各メーカーの商品においてリユース品が容器包装として利用が進まない理由は、リユース品の回収、運搬、洗浄の費用をメーカーが負担する必要があるからである。一方で、97年に施行された法律で、資源を再生利用するためのリサイクル活動の費用は、資源を再利用する業者に引き継ぐまでの収集、分別、保管費用にリサイクル全体の7割が、それにあたると言われている。そしてその全額が自治体の税金で賄われている。3R(リデュース/リユース/リサイクル)という概念上、環境保全の最終手段であるとされているリサイクルを選択することが、企業側にとっては価格メリットがあるため、自然とそれを選択するのである。

2)回収の問題

次にリユースカップの専門業者が回収に来るまでのオペレーション面に課題がある。ワークフロアから共有のゴミ置き場に使用済みカップを移動する際、建物のゴミ置き場または別のスペースに一旦保管する必要があり、その場所を確保する事が必要になる。通常、ワークフロアのゴミの収集は、ビルメンテナンス会社が管理しているため、リユースカップを導入する場合、回収専門業者の入退室、置き場所の確保、及びビルメンテナンス会社への保管作業の委託等々、オペレーションに関する協議事項が多く折衝も一様ではない。各建物によって異なるビルメンテナンス会社との取り決めにも対応することが課題である。

3)リユースカップ自体に利用者側からの馴染みが乏しい 

最後に、実際にリユースカップを導入するにあたり、利用者となる企業にとって社会的認知がないリユースカップを積極的に導入する動機が働きにくい上、導入への心理的・物理的負担感が先に立ってしまうことも相まって、検討の俎上に乗りにくい。社会的認知度と共に、その意義の理解が今後の課題となる。

 以上のことから、日本企業のオフィス内にリユースカップを普及させて行くには、まだまだ時間がかかると考えられる。

一方、リユースの普及に関して世界に目を向けてみると、リユース品使用の先進国と言われているスウェーデンやドイツでは飲料を販売する際に、ペットボトルやビンに対してデポジットを徴収している。例えば、ペットボトル飲料を近所のスーパーで購入した場合は、空のペットボトル容器を購入店へ返却、また飲食店でテイクアウト用の飲料を購入した場合は、最寄りの系列店に容器を返却すれば、デポジットが戻ってくる仕組みを取っている。そして、リユース品にかかる費用のメーカー負担に関しては、リユース品を製造した段階のみに税金をかけ、それ以降商品販売にリユース容器を使用していれば、何度売れても税金がかからない仕組みとしている。これらの取り組みによって普及に力を注いでいる事例もある。

日本においては、これまで述べてきた、乗り越えなければならない壁がある。参考にしたいのは、1990年代の深刻な環境汚染とゴミ集積地の不足といった理由により国や行政を巻き込んで、ゴミを細かく分別するという活動が徐々に日本で浸透し始めたことだ。時間はかかったが、国内においてゴミ分別はどの地域でも当たり前のことになった。あらゆる手段を講じ、分別の啓蒙とリサイクル活動が一般生活者の意識に根付いたためだ。

リユース品の普及は引き続き低調ではあるが、地球温暖化をはじめとした環境悪化の問題は待ってくれない。日本だけでなく世界各国と手を取り合って最適な解を導き出していく必要がある。日本でも個人の小さな活動がやがて大きなムーブメントとなり、“リサイクル”に軸足を置いている社会から、“リユース”が当たり前となる社会を希望し、まずは自分のできることを進めていきたい。

Joker