2019年11月18日 (月)

DXの理(ことわり)、日本の課題

 多くの企業で、様々なメディアで、DX(Digital Transformation)の発展を求める声が喧しい。DXが人々の暮らしをより良い方向に激変させるのだという。スウェーデンのエリック・ストルターマン教授が2004年に発表した『Information Technology and the Good Life』で提唱した概念だ。15年も前の論文である。遡ること1995年、マサチューセッツ工科大学メディアラボ創設者ニコラス・ネグロポンテ氏は、当時ベストセラーとなった著書『ビーイング・デジタル』で、アトムの生態系からビットの生態系へと相転移する世界観を展開していた。更に遡れば、1980年代に喧伝されていたマルチメディアもよく似た概念であり、最近のDXの発展を求める声には既視感がある。DXは決して新しい概念ではない。

それが今になって時代のキーワードのように取り上げられている背景には、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)や、BAT(Baidu、Alibaba、Tencent)など、メガ・プラットフォーマーの台頭がある。民泊サービスのAirbnbや配車サービスのUberなどが、デジタルテクノロジーによって既存のビジネスモデルを破壊しながら爆発的に成長していることもDXを時代のキーワードに押し上げた。企業ではCDO(Chief Digital Officer)と呼ばれる職務が注目され、デジタル人材を求める採用戦線も熱気を帯びている。四半世紀以上も前から提唱されてきた概念の実現化をデジタルテクノロジーの進歩が加速させはじめた、ということなのだろう。

 一方、日本の産業界ではGAFAやBATのようなグローバルな市場で活躍する企業がなかなか現れてこないことが問題視されている。その焦燥感はメディアの論調にも滲む。企業でDXに取り組む幹部たちの目には、羨望の色だけではなく諦念感さえ漂っている。

 

 DXで成功しているビジネスモデルを抽象化してみると、どれもが3つの要素とそれらを繋ぐ価値連鎖によって成り立っているように思える。一つ目の要素は、人々が生成するコンテンツや行動の履歴、あるいは生体情報や財産情報などを蓄積する情報基盤だ。二つ目の要素は、それらの情報を分析して新たな製品やサービスを創出する開発システムだ。三つ目の要素は、個々人の欲求に適した製品やサービスなどを提供するデリバリーシステムだ。提供された製品やサービスへの評価は情報基盤に還元されて価値連鎖を形成する。そして、Big DataやAIやIOTやCLOUDなどのデジタルテクノロジーの進歩が価値連鎖を軽やかにしていく。DXとは、このような価値連鎖を人々の暮らしの中で実現していくことと言えそうだ。消費の仕方、製品やサービスの提供方法、個人の稼ぎ方、社員の働き方、企業間の連携方法、投資の仕方、企業と社員の関わり方、貨幣流通の在り方、人やモノの移動方法、人の成長、社風やモチベーションのつくり方、経験知の活用方法など、人々の暮らしのあらゆる場面でデジタルテクノロジーによる価値連鎖を実現していくのである。

 DXで成功しているビジネスモデルからは、もう一つの共通性を見出すことが出来る。形成された価値連鎖は様々なデジタルプレイヤーの相互の乗り入れが可能で、そこから新たなビジネスを次々と生み出しており、既存の産業分類に収まらない。価値連鎖を新たな産業を共創するデジタル生態系へと拡張させているのだ。中国の4大保険業者である中国平安(ピンアン)や無人コンビニ店の運営を展開している大手EC企業の京東(ジンドン)などもその代表例と言えるだろう。例えば中国平安はひとつのIDで活用できる100種類ものアプリを公開しており、それらは健康維持や生活利便性の向上にも役立つという。中国平安が形成する価値連鎖も旧来の生命保険業界の枠には収まらない。このようなデジタル生態系の動きを見ていると、巨大な細胞培養器の中の活発な生命活動を覗き込んでいるような気がしてくる。

 日本企業のDXへの取り組みはどうだろうか。既存のビジネスモデルの延命策的な改善や部分的なDX活用のパッチワークに留まっており、レッドオーシャンの中にスモールワールドをこしらえて小競り合いを繰り返しているようにしか見えない。その背景には顧客の個人情報に対する囲い込みの論理がある。小さな囲い込みがひしめき合っている日本の産業界からはグローバルな市場で活躍する企業が現れないことも頷ける。最近ヤフーとLINEの統合が取りざたされているが、国内の消費者の一部が多少なりとも決済の利便性を享受できるレベルだ。DXで成功している海外の企業にも囲い込みの論理は働いているが、自社の顧客だけに固執しておらず、世界人口の中で産業の枠を越えたシェアの獲得を想定しているように見える。ようするに囲い込みの規模が桁違いなのだ。日本企業にもそのような発想がないわけではない。しかし、精緻につくり上げてきた既存のビジネスモデルとのカニバリを恐れる気持ちも加わって、思い切った投資を妨げているのだろう。所謂イノベーションのジレンマだ。では、日本企業の打開策はどこに見出すことができるのだろうか。

 

 デジタル生態系の中で価値連鎖が拡大していく過程には一定の法則性がある。4つのプロセスと、それぞれのプロセス毎に3つのステップがあり、それらがスパイラルアップしていくのだ。このスパイラルアップは四半世紀も前から始まっており、これからも加速度的に拡大していくだろう。そして、スパイラルアップのボトルネックに日本の課題が見えてくる。

 一つ目のプロセスは「デジタル資産の境界消失」だ。そこには、情報ヒエラルキーの消失と、情報の縦割り構造の消失と、情報流通の活発化の3つのステップがある。例えば、病院や薬局や健康サービス機関などがそれぞれに囲い込んでいるパーソナル・ヘルス・レコードの境界線が消えていくことを想像して頂ければ分かり易いだろう。二つ目のプロセスは「デジタル資産の共有化」だ。そこには、繋がりの拡大と、情報管理の再編と、個人情報の統合化の3つのステップがある。分散しているパーソナル・ヘルス・レコードが1つのIDで消費レコードや信用情報など様々な個人情報と繋がっていく、様々な決済がワンストップで出来るようになる、そんなイメージだ。三つ目のプロセスは、「デジタル資産の活用化」だ。そこにはデジタル資産の用途拡大と、用途の個への最適化と、簡便性の高度化の3つのステップがある。このプロセスでB2MEが完成する。最後のプロセスは「アナログ資産の復興化」だ。そこには、アナログ価値の見直しと、アナログ価値の向上と、デジタル価値とアナログ価値の調和の3つのステップがある。DXで成功している中国企業は今、日本の生活文化や芸術や観光資源などのアナログ価値を求めており、デジタル生態系の中に取り込むために投資の触手を伸ばしているという。

 日本と日本の企業がDXで成功するための鍵は一つ目のプロセスにあるのではないだろうか。小さな囲い込みの中でガラパゴス的に蓄積され互換性に乏しいデジタル資産は、囲いの中ではクオリティデータであっても本当の意味でのBig Dataにはなっておらず、囲いを取り払った瞬間にジャンクデータとなってしまうのだ。先ずは、企業や産業や行政機関の壁を越えて、それぞれが囲い込んできたデジタル資産をクオリティデータとして活用できる情報基盤の整備が喫緊の課題だろう。 情報基盤の整備は、日米の関係性を見てもGAFAがつくり上げてきたデジタル生態系との互換性を持たせるべきではないだろうか。精緻に構築されてきたレガシーシステムの上に成り立っている日本のIT環境を考えると、境界無きクオリティデータの基盤整備は簡単ではないが焦る必要はない。急速に進歩するデジタルテクノロジーだが、セキュリティの問題を筆頭にまだまだ課題は山積しており発展途上だ。ウサギとカメの話ではないが、進歩の先行きをしっかりと見極めながらじっくりと取り組めば良い。それこそが日本の得意とするスタイルだ。

一方、国家戦略レベルの取り組みを通してデジタルテクノロジーの進歩に対する日本の影響力を高めていくことも必要ではないだろうか。例えば量子コンピューターの実用化などだ。暗号解読のリスクが懸念される量子コンピューターだが、逆手にとってセキュリティ強化への活用もあり得る。一つ目のプロセスを推し進めていく上でセキュリティの強化は極めて重要な問題になるため、セキュリティ問題の解決に着目した量子コンピューターの実用化研究などにフォーカスするのだ。

一つ目のプロセスで課題を克服していけば、二つ目のプロセスは自然と動き出す。しかし、その際に必要となるのが個人情報に対する理念の確立だ。EUでは2018年5月25日から「GDPR:General Data Protection Regulation(一般データ保護規則)」が施行され、サーバー犯罪の悪質化や、スマートフォンなどの普及による通信ネットワーク上における秘匿情報の増加を背景に、個人情報を集めたり処理したりする企業に対して様々な義務が課せられるようになった。GDPRの下では個々人は「忘れられる権利」を持つことになるが、これが「表現の自由」を抵触するとして物議を醸しておりGAFAの動向にも影響を与えている。日本も、デジタル生態系の規範となるような理念を打ち出すべく英知を結集しなければならない。案外そんなことがブレイクスルーのきっかけになるのかもしれない。

 

方丈の庵

2019年11月 5日 (火)

国破れて(衰退して)山河あり ~急速に山林に飲み込まれていくニッポン~

 近年、野生動物(特にサル、イノシシ、シカ、クマなど)が人家付近まで進出し、食べ物を奪ったり、ゴミ取集場を漁ったり、農作物を食い荒らしたといったニュースを耳にすることが多くなりました。ヒトに危害を加えて大けがをさせ、地元のハンターに駆除されたというものも多々あります。野生のサルは、以前から人間の居住地域や観光地などで見かけることもありましたが、最近ではイノシシやシカも居住地域に出没するようになり、農作物への新たな脅威となっています。イノシシは豚コレラの媒介主とも言われており、人間の食糧生産や養豚事業にも暗い影を落としています。

 2019年は、特にクマの出没という話題が多かったように思います。北海道では札幌市内の住宅街にヒグマが出没し、知床ではヒグマが観光地に頻繁に出没し、現れたヒグマに餌を与える観光客が動画投稿サイトに上がっていました。本州でもツキノワグマの目撃例が後を絶たず、以前よりも人間の居住地に近い場所にまで現れています。

 

 野生動物が身近なところまで出没し始めた原因としては、野生動物の食糧事情により、食料が潤沢で容易に手に入る農地や居住地に進出してきているというのが一般的な見方ですが、最も大きな要因は野生動物の個体数が大幅に増加しているということです。 これは狩猟人口の高齢化、山林を管理する林業の人口が激減していることによる森の放置があげられますが、実は獣の捕獲頭数は右肩上がりで、捕っても駆除しても個体数は減るどころか増えているのが現実なのです。特に強い繁殖力をもつイノシシは、もの凄いペースで増えています。人間が見放した山林では自然が一気に回復(人工的なものが風化)し、爆発的に野生動物が増えて、今や手が付けらない状態なのです。

 

 なぜ、このような状態になったのでしょうか?

 これまでは、人間が長い時間をかけて山林を伐採して住宅地や農地にし、さらに鉄道や道路、堤防やダムなどを建設することで、人間が住みやすいように、便利になるように、自然界を改造してきました。これにより山林の生態系が破壊され、動物が食料を見つけにくく、住みにくく、子孫を残しにくい環境となり、多くの野生動物の個体数が激減しました。一部の種は絶滅か絶滅危惧種となるまで追い込まれました。このように自然を人工的に改造することで、野生動物を山奥に追い込み、人間が彼らの脅威にさらされず、存在を意識することない生活を獲得することにつながっていました。

 しかし、人間の活動の主領域が都市部に移動し、さらに第一次産業(農林業)が衰退したことによって、多くの山林が野生動物に実質的に“返還”されることとなり、破壊した自然が回復しはじめ、野生動物の個体数が増加に転ずることになりました。増えたのは古来からの人間の領域には近づかない警戒心の強い野生動物だけではなく、人間の領域も重要な食料調達場所として認識して、警戒心が比較的希薄な新しいタイプの野生動物達も現れました。自然の厳しい環境の中で、少ない食料を奪い合うよりは、多少のリスクはあっても食料となる農作物や食料ゴミが簡単に手に入る人間の領域を選ぶ個体もあり、特にイノシシやシカはその傾向が強いようです。

 

 人間の都市が野生動物の脅威にさらされていた時代は、都市が拡大し自然を侵食し始めた江戸中期から明治まで遡ることになります。そこは、人間が夜でも安心して暮らせる都市部と、野生に隣接し夜になると野生動物の脅威にさらされる都市を取り巻く郊外エリア、さらに人間が入りこむことが難しい野生動物が主役のエリアに分かれていました。都市部は夜でも安全ですが、それ以外はなんらかの方法で人間の安全を確保する必要があります。

 例えば、富士山や世界遺産に代表される歴史的建造物を中心とした観光地は、都市部から離れ山林に囲まれているので、野生動物の領域を隣り合わせです。これらは、安全に観光できるように、野生動物から観光客を守るための仕組みや人員を配置することになります。そのためには多額のコストがかかるため、維持メンテナンス料金を徴収することになるでしょう。また、キャンプや釣り、登山など鬱蒼とした山に入るという行為は、野生動物との遭遇や襲撃リスクが非常に大きくなります。現在でもクマ出没などの看板も見られます。登山者はクマ除け鈴などを付けて安全に気を使っていますが、滅多に出会うことはないだろうという潜入感が先行しています。しかし、クマの個体数が増えれば、クマ除け鈴だけでは危なくて山には入ることはできなくなるでしょう。避暑地にある高級別荘地もほとんどが山林に囲まれ他エリアにあり、シカやイノシシの被害は深刻だといわれています。

 2019年は台風に猛威にさらされた房総半島もイノシシの被害が深刻な地域で、特にタケノコや山菜などはほとんど食い荒らされている状態です。今回の台風被害で山里近くの宅地を放棄するする人が多くなれば、これらもやがて森に還っていくことになります。

 東京都でも郊外に行けば多摩丘陵の深い森が近い場所も多く過疎化が進行している地域もあり、それらはやがて限界集落になり廃墟と化して、自然に飲み込まれるでしょう。

 自然に飲み込まれた地域は、人が住むには適さない常に野生動物の危険にさらされる環境となり、自己防護手段をもたない服装や装備で踏み込めば、命の危険を覚悟しなくてはならない世界となるのです。

 

 この「日本列島の山林化」ともいえる現象に対する有効な対策として、スマートシティによる共存を考える人は多いのではないでしょうか。スマートシティは、エネルギーの自給や効率的なモビリティが配置されるなど、人間の住みやすさや安心を追求したもので、「進撃の巨人」にでてくるような防壁で囲うことで獣害への対抗策となります。しかし、獣の侵入は食い止めたとしても、「日本列島の山林化」はスマートシティの外で進行するので、マクロ的な観点では効果は限定的で、人間の安全は確保されても十分な食料が供給されないというような事態も考えられます。そういう意味では、今後はスマートシティコンセプトだけでなく、水、飼料、エネルギーを自給でき獣害から農作物や家畜を守る「スマートファームランド」、「スマートランチ(牧場)」なども必要になります。

 

 「日本列島の山林化」を食い止める最も有効な対策は、皮肉なことですが、人間がこれまで行ってきた山林を収める手立てを講じて、自然界における個体数増加機能を人間の管理下に置くこと(つまり人間の活動領域とすることで、自然を人間の都合のよいように改造すること)しかありません。要は人工的な開発を行って自然にダメージ(環境を破壊する)を与えるということです。過去にこれができたのは、急速に人口が増えていたことと、欧米列強に追いつくために急速に近代化、工業化しなくてはならない国家の事情があり、それらが自然を破壊し、野生動物の脅威を抑止していたのです。しかし、今の日本の経済状態、樹木の需要、日本の人口動態や高齢化の進行を考えても、山林を切り拓く必然性がなく、山林の整備に投入するお金や人員は、減少することはあっても増えることはないでしょう。経済発展の行きつく先として、国内の一次産業に頼らない産業構造と都市部を目指す人の流れ、そして人口減少によって、拡げ過ぎた人間の領域を自然界に還すという極めて自然な行為が行われているにすぎないのです。

 

 人間がその叡智による科学力で、野生動物を屈服させて森の奥に追いやり細々と暮らすことを強いてきました。しかし、人間が日本国土を我がものとして謳歌した時代はすこしずつ終わりに近づき、野生の脅威に正面方向き合っていかなくてはならない時代が再び始まりました。これからは、特に山間部では銃器やナイフなどを携行することが当たり前となり、鳥獣保護の法律も大きく見直されることになるでしょう。それでも増えはじめた個体の増殖を止めることは容易なことではなく、やがてかつてあったような壮大な“手つかず”の森が再生されることになります。

 内閣府の人口予測によると、2060年には8674万人になるとされています。人口減少と並行して都市部への人口移動が加速し、不要になる約4000万人分の居住エリアは、限界集落を経て自然に戻ることになります。その頃には、8500万人が住めるだけの居住地と大都市間の往来や事業活動にかかわるインフラが人間のものとなり、残った国土は人間が容易には踏み込めない深い森と、野生動物が支配する領域になるのです。

 

マンデー

 

2019年10月25日 (金)

リユースカップにおける普及の壁

リユースカップをご存知だろうか?文字通り一回使用したカップを捨てずに洗い、何度も使用するカップのことである。“必要ないものはつくらない、もらわない、捨てない“といったリデュース(買い物時のエコバッグの活用など)の考え方と本質的に同じである。まだ社会的な認知度は低いが、利用し始めている企業もある。

導入している企業では、福利厚生の一環として設定している給茶器(ドリンクサーバー)に、使い捨て紙コップに変えてリユースカップを使用している。

実際の利用方法は、紙カップの時とさほど変わらない。唯一の違いは、使用済みカップをゴミ箱に捨てることが、専用回収ボックスに入れるくらいであり、利用者の社員にとって過度な負担を強いる様子はない。

次に、回収ボックスに集められたカップだが、先ず回収ボックスから建物の共有ゴミ置き場に一時的に保管される。そこに回収専門業者がリユースカップの集荷に訪れ、専用工場に持ち込まれる。専用工場内では、リユースカップの滅菌と洗浄を施された後、給茶器設置用にパッキングされ、再びオフィスに届けられていく。基本的にはこの繰り返しによってリユースを実現している。

一方、リユースカップの普及具合をみると、その例はまだまだごく僅かである。先行して導入した企業では、都内近郊4か所のオフィスで利用しているが、2012年の導入以降、他社への広がりはみせていない。企業から廃棄されるゴミの総量を減らし、“必要ないものはつくらない、もらわない、捨てない“といったリデュースの概念に沿った活動であり大企業にとって、SDGs理念にも合致しているのだが、普及を阻む問題が幾つかある。中でも大きな問題になっていると思われる点を3つにまとめてみた。

1)費用の問題

まずリユースカップは紙コップと比較すると価格が高い。リユースカップは、1日100個以上の使用で1個あたり9円~11円の金額で提供(洗浄・運搬費込み)されており、通常の紙コップと比較すると、5倍近い価格である。この価格差では、いくら環境保全に意識を向けている会社でも即導入とはなりにくい。先行して導入した企業が日本で使用するようになった経緯をみると、外資系企業であり、既に海外支社でリユースカップが使用されている実績があり、環境保全を全社的に取り組む姿勢を広く社会に公表している。例えコスト増になったとしても目的が明確なため導入できていると考えられる。いくら社会的意義があったとしても、日本企業においてこの価格差を経営層が納得するには、今暫く時間が必要だと思われる。

また、この問題の根底には、1997年に施行された容器包装リサイクル法が関係している。各メーカーの商品においてリユース品が容器包装として利用が進まない理由は、リユース品の回収、運搬、洗浄の費用をメーカーが負担する必要があるからである。一方で、97年に施行された法律で、資源を再生利用するためのリサイクル活動の費用は、資源を再利用する業者に引き継ぐまでの収集、分別、保管費用にリサイクル全体の7割が、それにあたると言われている。そしてその全額が自治体の税金で賄われている。3R(リデュース/リユース/リサイクル)という概念上、環境保全の最終手段であるとされているリサイクルを選択することが、企業側にとっては価格メリットがあるため、自然とそれを選択するのである。

2)回収の問題

次にリユースカップの専門業者が回収に来るまでのオペレーション面に課題がある。ワークフロアから共有のゴミ置き場に使用済みカップを移動する際、建物のゴミ置き場または別のスペースに一旦保管する必要があり、その場所を確保する事が必要になる。通常、ワークフロアのゴミの収集は、ビルメンテナンス会社が管理しているため、リユースカップを導入する場合、回収専門業者の入退室、置き場所の確保、及びビルメンテナンス会社への保管作業の委託等々、オペレーションに関する協議事項が多く折衝も一様ではない。各建物によって異なるビルメンテナンス会社との取り決めにも対応することが課題である。

3)リユースカップ自体に利用者側からの馴染みが乏しい 

最後に、実際にリユースカップを導入するにあたり、利用者となる企業にとって社会的認知がないリユースカップを積極的に導入する動機が働きにくい上、導入への心理的・物理的負担感が先に立ってしまうことも相まって、検討の俎上に乗りにくい。社会的認知度と共に、その意義の理解が今後の課題となる。

 以上のことから、日本企業のオフィス内にリユースカップを普及させて行くには、まだまだ時間がかかると考えられる。

一方、リユースの普及に関して世界に目を向けてみると、リユース品使用の先進国と言われているスウェーデンやドイツでは飲料を販売する際に、ペットボトルやビンに対してデポジットを徴収している。例えば、ペットボトル飲料を近所のスーパーで購入した場合は、空のペットボトル容器を購入店へ返却、また飲食店でテイクアウト用の飲料を購入した場合は、最寄りの系列店に容器を返却すれば、デポジットが戻ってくる仕組みを取っている。そして、リユース品にかかる費用のメーカー負担に関しては、リユース品を製造した段階のみに税金をかけ、それ以降商品販売にリユース容器を使用していれば、何度売れても税金がかからない仕組みとしている。これらの取り組みによって普及に力を注いでいる事例もある。

日本においては、これまで述べてきた、乗り越えなければならない壁がある。参考にしたいのは、1990年代の深刻な環境汚染とゴミ集積地の不足といった理由により国や行政を巻き込んで、ゴミを細かく分別するという活動が徐々に日本で浸透し始めたことだ。時間はかかったが、国内においてゴミ分別はどの地域でも当たり前のことになった。あらゆる手段を講じ、分別の啓蒙とリサイクル活動が一般生活者の意識に根付いたためだ。

リユース品の普及は引き続き低調ではあるが、地球温暖化をはじめとした環境悪化の問題は待ってくれない。日本だけでなく世界各国と手を取り合って最適な解を導き出していく必要がある。日本でも個人の小さな活動がやがて大きなムーブメントとなり、“リサイクル”に軸足を置いている社会から、“リユース”が当たり前となる社会を希望し、まずは自分のできることを進めていきたい。

Joker

2019年10月23日 (水)

人は変わることができるのか

  先日、前職(新規事業開発の支援会社)で一緒に働いていた同僚と数か月ぶりに会った。会話するうちに筆者は、同僚が見違えるように変わったと感じた。同僚は、自身の考えを伝えきれず周囲の雰囲気に流されてしまうところがあった。また、顧客と会話する時には頭が真っ白になってしまい、何を発言すればよいのか分からなくなり、“自分は顧客に価値を提供できないため対価をもらう 資格のない人間だ”と自虐的になるなど、自信がないようにも見えていた。しかし、会わない間に同僚は、おかしいと思ったことをおかしいとはっきり口にするなど自分の気持ちを明確に表現するようになり、言動には自信がみなぎっていた。

 同僚に聞いてみると、「顧客への提供価値は会議で気の利いたことを発言することだけではない。自分は、対価を得ることを難しく考え過ぎていたため、自身のやり方でお金を稼げるようになることを目指した。そして、個人事業主として成功している人に共通する要素を自分なりに見つけて、その要素を取り入れるようにした。」と言っていた。

 また、「同じような悩みを持ちながらも自分らしく生きようともがいている人と意識的に付き合うようにした。自分はコミュニケーションが苦手なダメな人間だと自己否定の感情を持たないためにも、あえて前向きな言葉を使うようにしている。」と言っていた。

 他にも、「“楽しくない・やりたくない”と思うことはしないようにした。相手のペースに合わせた対人折衝を求められる仕事は不得手であるため、脱サラし元々副業していた転売やアフィリエイトなどほとんど自己完結できる仕事にシフトし、個人事業主として独立した。」と言っていた。

 筆者は、人は短期間でこうも変わることができるのかと驚いた。人には、内部や外部の環境変化に関わらず生体の状態が一定に保たれるホメオスタシス(恒常性)と呼ばれる性質があると聞くが、元来人が変わることは難しいと考えていた。同僚が変わることができた理由を改めて同僚との会話や調べたことを参考に考察してみたい。

 同僚との会話を整理すると、同僚は自身を変えるために、①なりたい姿をイメージし、②付き合う人を変え、③言動を変え、④苦手なことを捨てた、ということだろう。

 まず、4つに関わる内容について調べてみると、“レファレント・パーソン論”という考え方に行き着いた。いわゆる自己肯定感を高めるための手法で、偉人の生き方、価値観、思考法、行動を参考に、自身の課題を見つめ直し人生の判断や選択をするというものだ。同僚が、個人事業主として成功している人に共通する要素を参考に自身のやり方でお金を稼ぐこと目指し、同じような悩みを抱えながらももがいている人と付き合うようにしたことや自己否定の感情をなくすためにあえて前向きな言葉を使うようにしたこともこの考え方に当てはまると思った。

 次に見つかったものは、“人は3日で変われる”というアドラーの言葉であった。近年、“嫌われる勇気”などアドラー心理学に関連する書籍をよく見かけるが、アドラーの主張は、“人は、変われないのではなく、変わらないという決心を下しているに過ぎない。変わる勇気があれば人は変わることができる。”ということに集約される。その思想から“勇気の心理学”とも呼ばれている。同僚が、“楽しくない・やりたくない”と思うことをしないと決め、不得手な対人折衝を伴う仕事をやめたことは、苦手なことを捨てる勇気を持つというアドラーの考え方に類似していると思った。

 このようなことを調べるうちに筆者は、同僚が自身を変えるために実施した①~④は、ビジョンの策定、アライアンス先やターゲットの変更、コーポレートメッセージの変更、リストラクチャリングなど企業の変革戦略に通じているということに気が付いた。

 通常、企業は自社を変革して持続的に成長するために戦略を策定する。筆者が考える戦略は、なりたい姿を明確に描き現状とのギャップを埋めること、つまりAs-IsとTo-beを明確にすることから始まる。同僚は、個人事業主を目指してなりたい姿を描き、個人事業主で成功している人の共通要素を洗い出すことで、なりたい姿と現状とのギャップを埋めようとしていた。

 また、企業が新たなビジネスモデルに変革する際に、アライアンス先や獲得する顧客層を変更するように、同僚は同じ悩みを持つ仲間と集まるなど付き合う人を変えていた。

 他にも、企業が新たなビジョンの実現に向けて社員の行動を変える際に、コーポレートメッセージを変えるように、同僚は思考や行動がより前向きなものになるように自身の発する言葉を意図的に変えて(コントロールして)いた。

 そして、企業が自社の弱みを捨てて、自社のリソースは全て強みを伸ばすことに集中させる“選択と集中”を行うなどリストラクチャリングを敢行するように、同僚は転職、副業、兼業、自営業、アルバイト、フリーターなど様々な選択肢がある中で、自身の経験を活かした転売やアフィリエイトで稼ぐ個人事業主になるなど“選択と集中”を行っていた。

 不思議なことに、上記4つを実践している企業は多くあるにも関わらず、イノベーションが起きづらい昨今の企業状態を踏まえると、変革成長を遂げている企業は少ないように思う。そこで筆者は、同僚の以下のような発言を思い出した。

 「個人事業主で生計を立てられるようになったノウハウを自分で稼ぎたいと思っている人に伝えている。転売やアフィリエイトなどのスモールビジネスは、世間ではあまりいいイメージを持たれていないが、ノウハウを共有することで関わった人を幸せにできる仕事であると思う。その中で、自分と同じように自己否定の感情で苦しむ人がいたら、自信を持って生きていけるようになるためのサポートをしたい。」

 つまり同僚は、個人事業主としての成功を目指しながら、苦しんでいる人を助けたいといった“誰かのために役に立つ”という思いを強く持っていた。そして、経験やノウハウを共有するなど、人を幸せにするという自身の思いを体現するための行動を実際に移していたのだ。

 企業の役割が、社会課題の解決や人々の生活を豊かにするという理念をビジネスという手段で体現することであるならば、“誰かのために役に立つ”という精神を持った人材を一人でも多く育成し、その価値観を企業全体に浸透させていくことこそが、企業の変革に必要な要素となるのではないか。

 今回の考察では、企業や個人が短期間で変わるためには、“誰かのために役に立つ”という精神を持ち、変革戦略である①~④のプロセスを踏むことが重要であるいう結論に至った。同僚のエピソードが、変わりたい、前を向きたいと思っている方に少しでも参考になれば幸いである。 

                                                                               R2D2

2019年10月21日 (月)

OMO時代にある駅

 先日、日本本土に超大型台風が襲来し、大きな被害をもたらした。

 被災された皆さんへは心よりお見舞い申し上げるとともに、被害に合われた地区の皆さんには今後の生活の安寧と一日も早い復興をこの場を借りてお祈りさせてもらいたい。

 私の住む地域は東京の西側にあり、例外なく超大型台風の直撃を受けたが、事前情報による準備と比較的高台に位置していたこともあり、幸いにも無事であった。だが、もう一つ前の台風のときは、交通機関が完全にストップし、朝の通勤ラッシュ時というのもあり駅が人であふれかえっていた。その日の出社を見合わせる方も大勢出たことだろうと容易に推察できる。

 

 さて、本稿はそのような交通機関が災害でストップし、駅前が人であふれかえる光景を目の当たりにしたときに巡らせた妄想についてここに書き留めるものである。

 

 本題に入る前に、タイトルに掲げたOMOの考え方について、簡便に紹介したい。OMOとは、Online Merges with Offlineの略で、この言葉自体は、グーグルチャイナの元CEO李開復氏が2017年9月ごろ提唱し始めた。参考までに、彼の著書の中での記述を以下に引用する。

 

 「ソファに座って口頭でフードデリバリーを注文することや、家の冷蔵庫にあるミルクが足りないことを察知してショッピングカートへの追加をサジェストすることは、もはやオンラインでもオフラインでもない。この融合された環境をOMOといい、ピュアなECからO2Oに変わった世界をさらに進化させた次のステップである」

 

 メーカーや小売りなどで一時代前に声高に語られていたO2O(Online to Offline)の世界観は、“オンラインをどう活用するか”というリアル起点でデジタルを発想する考え方であり、企業目線で語られる内容であった。しかし、OMOの世界観は、デジタルが急速に進化を遂げる時代を受け、“データを軸にリアルをどう便利にするか”というデジタル起点でのリアル活用の視点に進化を遂げ、それは常に顧客目線で最適解を求める思考が当たり前になる世界に変貌を遂げることを意味する。

 具体的にわかりやすい例を挙げるならば、皆さんは知らない土地に何か用事があって出向く際、まずスマホでマップを表示し、目的地までのルートを探してから、目の前に広がる道路や標識を捉え、歩を進める方が多いのではないだろうか。スマホがなかった時代は、道の標識を探したり街並みの雰囲気などを見たりして、歩むべき方向を選び歩を進めていたかもしれないが、そこからは大きく変わった。食事する店を探すときも、看板の雰囲気や外観、漂う香りなどで決めることよりも、まず食べログなどからお店の情報や位置を取得して決めることが多くなってきているだろう。それこそデジタルが当たり前、デジタルのほうがリアルよりも先に利用している世界になる。それの延長線上にOMOの世界がある。

 中国のフ―マーマーケットや平安保険グループなどOMOの世界における先進企業として名前があげられるが(詳細は、文末記載の参考書籍をご覧いただきたい)、それらの企業に共通しているのは顧客の行動データをオンライン/オフライン両面から数多く取得し、それらを基に顧客目線で最適な価値を提供している点である。つまり、顧客データの量・質とその活用が肝となっている。

 

 さて、冒頭の話に戻るが、私は交通機関のストップによって駅前に人があふれている光景を目にしたときに、このOMOの世界が頭の片隅にあったこともあり、なんて数多くのデータがそこに密集しているのかと感嘆した。きっとデータサイエンティストを本業にしている人が見たら、駅というのはそのようなデータ集約拠点として機能していると見て取るのではないだろうかと。駅の再開発といえば、JRや私鉄各社の動向をみても、基本的には沿線価値の向上であり、駅そのものをどうこうするというよりも、駅周辺の施設開発などを推し進めていることが多い。だが、もしOMOの世界観から駅の再開発を考えるとすると、大きなパラダイムシフトが起きるのではないだろうか。

 駅における顧客行動データというと、現状は、おそらく交通系ICカードによるデータ取得とその活用がメインになっていると思われる。しかしながら、駅周辺に様々なIoTセンサーが設置され、それ以外の行動データが交通機関と連携されて活用できるようになると、例えば次のような世界が訪れるかもしれない。

 

1)交通機関における広告最適化とAR/VR活用によるサービス体験の実現

 今の車内ビジョンでながれる動画広告や車内に吊るされている広告は、マスに訴えかける内容である。だが、それだけではなく、興味をもった(更なる妄想としては、興味をもったというような感情面の機微もセンサーで検知し、自動検出されるようになると面白いが)個々の乗客は、自身のスマホに特定の広告内容に紐づくキャンペーンチケットのようなものをダウンロードすることができ、乗降した駅構内でそのチケットを使うことで、その商品が置かれていなくてもAR/VRを活用して商品やサービスを疑似体験できる(広告の追加コンテンツを楽しむことができる)ようになるかもしれない。そして、それは企業側にとっても興味を持った潜在顧客データが届けられることとなり、さらなる商品・サービス開発に活かされるようなスキームができあがる。そうなると駅がデータプラットフォームとして様々な企業が活用をはじめる対象チャネルとなる。

 

2)心身の健康状態に合わせた最適な交通手段の提案と交通機関内でのサービス提供

 定期購入時にデータ提供に同意した顧客に対しては、ウェアラブル端末などに紐づいた心身の健康状態のモニタリングデータを基に、毎日の通勤・通学がより快適になるようなルートやそれに紐づくサービスの提供が実現できるかもしれない。(例えば、ストレス度がピークに達していれば、比較的空いている乗車時間・乗車車両への誘導が乗車時間までの近隣にある喫茶店やマッサージ店のクーポン券と合わせてスマホに通知が届くなど)

 

3)行動データに基づくダイナミックプライシング

 飛行機などではすでになされているが、電車でも同じように駅利用者の混雑状況に合わせて最適化された価格設定を実現し、混雑緩和、通勤ラッシュ解消などにつなげることも想像できる。(国策と紐づく企業の取組としてはハードルがあるかもしれないが)

 

 ちょっとした妄想の域をでない話の数々であるが、駅に限らず商業施設や高速道路のPA/SAなど、リアルにある様々な施設・拠点をOMOの世界観から眺めてみると、皆さんの生活価値を大きく変革向上させる取り組みがみえてくるのではないだろうか。まさに、デジタルが席巻し始めた今の時代に生きる一人の人間として、そのような視点で、様々な企業の次の戦略・アクションを注視していきたい。

 

参考書籍:「アフターデジタル」 著―藤井保文・尾原和啓

ハッピーホーム

2019年9月25日 (水)

フェイクニュース拡散を抑えるために

SNS(交流サイト)などで虚偽の情報である「フェイク(偽)ニュース」が流れる事例が増えている。偽ニュースは一般に、社会を混乱させたり、利益誘導をしたりするために発信された虚偽の情報のことだ。7月21日投開票の参議院選挙にからんでも、ツイッター上で複数が確認された。例えば参院選の開票日前には「来月から国会議員の月給が100万円から120万円に引き上げられる」「安倍首相が『富裕層の税金を上げるなんてバカげた政策』と答弁」といったテキストや動画がSNSのツイッター上に投稿された。後にメディアによって偽ニュースと判断されたが、投稿を信じた人による「不公平だ」などのコメントが殺到。安倍首相の動画は700万回以上再生された。

フェイクニュースを作る技術は日々進化している。人工知能(AI)による画像処理を使い、映像の中の人物を他の人物と入れ替える技術「ディープフェイク」や、映像内の人物の表情を自在に変えられる技術「Face 2 Face」が登場。実物そっくりのフェイクを誰でも簡単に作れるようになった。

またフェイクニュースの方が事実より拡散スピードが速く、拡散範囲が広いという研究結果が2018年にサイエンス誌に掲載された。論文では10万件以上のツイートを分析し、その結果真実が1500人にリーチするにはフェイクニュースよりも約6倍の時間がかかることやフェイクニュースの方が70%も高い確率で拡散されやすいことが明らかになっている。

ソーシャルメディア上で偽情報があまりに容易に広がるという事実は単にやっかいだで済む話ではない。虚偽のニュースは我々の選挙と民主主義の根幹を脅かす可能性がある。なぜこれほどまでにフェイクニュースが存在するのか、そしてどうすれば抑止できるのであろうか。

 

フェイクニュースがつくられる理由は政敵に勝つため、主張を強固なものにするためという意図もあるだろうが、大きな理由の1つは金銭的理由である。例えば米大統領選挙では東欧の小国であるマケドニア共和国に住む学生たちが大量のフェイクニュースを作成、100以上の米国の政治情報サイトが運営されていたことが分かっている。彼らは政治的立場からトランプ氏を勝たせたかったわけではなく、その狙いは記事の作成・拡散による多額の広告収入にあった。彼らは米国の右翼サイトなどから寄せ集めした情報を公開し、拡散を図った。特に右翼的なテーマほど拡散されやすいことからトランプ氏を擁護するようなフェイクニュースが大半を占め、数か月で親の生涯年収分をかせいだ者もいる。

ソーシャルメディアにおける収益モデルはコンテンツの拡散度合いに依存する。現在のデジタル広告のビジネスモデルは虚偽ニュース拡散を促す側面もあるといえる。なぜなら偽情報は正確な事実報道より早く、より広く拡散するからである。

フェイスブックの創始者にしてCEOのマーク・ザッカーバーグが公聴会で何度も誓ったように、プラットフォーム企業にはクリックベイト(ユーザーの興味を引きクリックさせるために、実際の内容と異なる扇情的なタイトルをつけること)を減らし、より有意義で信頼性の高いネットワークを作る責任がある。プラットフォーム企業にとって広告料が生命線ならば広告主の大企業が影響力を行使すれば流れは変わる。フェイクニュースと共に表示される企業広告は企業イメージを毀損するため、ソーシャルメディアがより社会的責任のある運営をするようになるまで、大企業は広告を出さないような見直しをすべきだ。

また企業任せだけでもいけない。フェイクニュースの明確な定義が難しく、プラットフォーム企業のファクトチェックがまだ効果的に働かない今、拡散媒体となっている消費者の我々も知恵をつけ、見る目を養い、情報を鵜呑みにせず、嘘を見破るための自衛のスキルを身につけなければならない。

具体的には情報の質、真偽、偏りをより意識することが重要となる。無論すべての情報について、真実かどうかをチェックするのは不可能であるが、受信する情報について、偏っているかもしれない、自分の見たいものだけ見ているかもしれない、デマかもしれないと考えて接することはできる。完全に防ぐことはできないが、これらを認知したうえで情報に接するのと認知しないで接するのではその意味合いは大きく異なる。

情報社会になって情報が氾濫し、共有方になったことにより、あらゆる情報を無料かつ無制限に享受できるのが当たり前になりつつある。しかし、そのような時代だからこそ我々は情報の質についてよりいっそう深く考える必要があるだろう。

エウロパ

2019年8月16日 (金)

DXとDAO

つい昨日までDX(デジタルトランスフォーメーション)の話題で、多くのビジネスパーソンがその知識習得にやっきになっていた。しかし、そのイメージは未だ伝わってこない。

例えば、こんなイメージならどうだろう。家電メーカーは家電をつくるが家電そのものを売るのはやめる。その代わり、使った状況に応じて利用料を支払うことに。具体的にはこんな事が考えられる。

1台10万円の冷蔵庫を量販店で買う場合、買い方は現金かクレジットカード(分割可)やローンがある。分割払いや、割賦払いを利用すれば金利もつくので、10万円以上の支払いをしなければならない。
一方、マイクロペイメントのような課金プログラムが実装されたなら、冷蔵庫を無償で提供し、冷蔵庫と冷凍庫のドアの開閉回数に応じた課金が可能になる。
仮に、冷蔵庫のドアを開ける回数1回につき0.8円。冷凍庫は1回8円と決めておく。都心で働く1人暮らしの20代女性の冷蔵庫ドア開閉を、1日平均10回、冷凍庫ドア開閉1日平均5回とすると、1日当たりの利用料平均は48円となり、365日を乗じると、年/17500円となり、5年使えばで87,500円となる。2人暮らし世帯になれば、開閉回数も増えることが期待できる。
考え方にもよるが、家電メーカーは売らなくても収益化は可能になる。
これを支える技術は、ブロックチェーンのマイクロペイメントシステムではないかと言われている。事実、ブロックチェーン技術は既にアメリカの不動産業界において、スマートコントラクトといった契約方法で実現している。不動産は権利は複雑で高額の取引となる、ブロックチェーン技術によって購入と同時に登記の登録まで一貫して行ったという実績もでてきた。

更に技術に支えられた組織のあり方も変わっていく。自律分散型組織=DAO(Decentralized Autonomous Organization)。例えば、会社経営には管理者と労働者がいるのが当たり前だと思っているが、そこが変わる。管理者はいるが、労働者がいない組織。これは大手自動車製造業の工場など、人は殆どいないし、高速道路の料金所も人がいなくなった。こここまでは自律型とは言わない。DAOの世界のポイントは、管理者が不在という点がポイントだ。例えば、タイムスの駐車場においてある車にUberボタンが実装されていることを想像してもらいたい。誰でもいつでも好きな時間に車を借り、少し時間があれば、好きなだけUberのドライバーとして働くことができる世界が実現すれば、管理者はネットワークシステム、労働者は免許証をもったカーシェアリングを利用する全てのドライバーとなる。(日本国内ではUber Eatsの労働者が都内のレンタルサイクルを使っているケースが既にある)要は登録さえすれば、管理者不在でネットワークシステムが労働者に仕事を提供する世界だ。
更に、無人の自動運転が実現すれば、労働者も管理者もいない移動手段が可能になる。このような組織が実現するには今暫くの時間を要するだろうが、DAOはこれから着実に増えていくと考えられている。自律型分散組織は、そのビジネスモデルを提供するオーナーはいるが、人と組織を管理する必要性がほぼなくなってくることを意味する。そういった組織が現れる時代になった。

日本は過去の仕組みや慣習から抜け出すのに時間がかかりすぎた。そのことを省みて、中国に学び、リバースイノベーションを模索する流通企業もある。その方が経営のデジタル化を早く手に入れられるからだ。DXの周回遅れとなった日本企業の感覚では、日本でDXを進めていてはさらなる周回遅れに見舞われる。
日本でDXを進めるのであれば、まず考え方を変えなかればならない。私達の生活行動の全てをデジタル化すること。それが大前提。その上で、これらのデータはマーケティングに活かし、かつ最高の顧客経験価値へとつないでいく発想への転換が不可欠になる。
先に述べたように、家電も買わなくてよくなるのであれば、壊れるまで使って購入するよりも、5年ごとに新型家電に変えることが経験価値を高めることになる。そして、家電を利用した顧客のデータは全て収集すし、これらのデータを更に新しい経験価値づくりに活用するサイクルを生みだすシステムが、DXの世界であり、DAOの世界である。

日本の社会を変えていく上で、重要な企業経営の課題の1つは、経営のDX化と組織のDAO化だ。創業から10年以上を経過した企業は、この2点を与件とした経営改革を進めるべきだろう。ここでは、紹介しないが、何故、そうなのかを考える材料を1つ提供しておきたい。それは、全く新しい大学(プログラミング大学)のあり方を創った42USAについて調べてもらいたい。授業料無料、寮費無料、就職先はGAFAをはじめ世界トップレベルの企業から在学中にスカウトが来る。授業に教師はいない、課題は自分か生徒間で教え合う。まさにDAOの世界観そのものでもあり、学校が授業料をとらず無料で有能な人材を集めて利用してもらっているのだ。一度自分の目で確かめてもらい、将来の経営の参考にすることをすすめたい。
https://www.42.us.org/

クローサ No.10

成長を続けるTKPの行く末

貸会議室大手ティーケーピー(以下、TKPと表記)の勢いが止まらない。

TKPは、空きビルを借り上げ、貸会議室に改装して企業などに時間単位で貸し出す事業を担ってきたが、近年、室料以外の収益源を確保するビジネスを上手く展開し、機材レンタル、飲料・宴会サービスをオプションで提供して客単価アップを図る一方で、弁当会社の買収などでサービスを内製化し、利益率を高めてきており(※1)、2017年に東証マザーズに上場している。
直近においても、07/01にホテルなどに配膳係となる人材を派遣する「品川配ぜん人紹介所」(東京・港)を買収し、一流ホテルを顧客に持つ同社を取り込むことで、貸会議室へのケータリングサービス強化や人材育成拡充につなげようとしている他、06/21には、サッカーJ1の「大分トリニータ」を運営する大分フットボールクラブ(FC、大分市)と資本提携し、自社の拠点で大分トリニータの試合のパブリックビューイングを開催するなどエンタメ分野での展開も検討を進めている。また、昨今のインバウンド増加に伴う宿泊施設の不足の波になり、出張で東京に来たビジネスパーソンを対象とした宿泊分野の伸びも期待されている。

 

2020年2月期第1四半期 概況(連結) (単位:百万円、構成比%) ※()内は2019.2月期第1四半期

連結売上高 10,405(9,118)
室料            5,430(4,894)     52.2%(53.7%)
オプション  1,005(840)         9.7%(9.2%)
飲料            1,937(1,732)     18.6%(19.0%)
宿泊            1,257(834)        12.1%(9.2%)
その他           773(815)           7.4%(8.9%)
営業利益   2,087(1,765)    20.1%(19.4%)

そして、同社は今年の4月に「リージャス」などのブランドでシェアオフィスを世界展開するIWG(スイス)から日本法人「日本リージャスホールディングス」を約450億円で買収し、シェアオフィス事業に参入している。そして、08/09には、台湾最大手のシェアオフィス企業の台湾リージャス(シェアオフィス14拠点を展開する)を約30億円で買収したことを発表した。そして、同社が6月に買収を踏まえた新中期経営計画の中でも、フレキシブルオフィス(※以下ご参照)提供者になることを明言している(16日に中期経営計画の見直しを公表するとしている)。

 

新中期経営計画の基本方針(※2)

当社は以下を新中期経営計画の基本方針といたします。
①当社と日本リージャス社とのリソース融合による、共同での物件開発・商品販売・拠点運営の推進
②日本最大のフレキシブルオフィス提供者として「働き方改革」を推進し、BtoBを中心とするサービス展開の拡大及び顧客満足度・リピート率の向上
③フレキシブルオフィスと関連する新規事業分野の開発・M&Aの促進

 

※フレキシブルオフィス
サービスオフィス(レンタルオフィス)とコワーキングオフィス(シェアオフィス)の合計。一般的なオフィスの賃貸借契約ではなく、より使用者の目的に対応したワークスペースを利用することができる新しいオフィス。

 

シェアオフィスは、主にオフィスの床を長期で借り上げて転貸するビジネスモデルである。近年は、企業の「働き方改革」やスタートアップの活況などを背景に需要が伸びており、不動産サービスのJLLによると、東京都心5区のシェアオフィスは13年以降に目立って増加しており、18年末には床面積が15万6000平方メートルと前年比48%増え、19年もさらに拡大する見通しである。首都圏のフレキシブルオフィス市場規模を見ても、日本オフィス市場規模:20兆円に対して、19年は2,000億円(1%)であるが、30年には6兆円(30%)にまで拡大すると予測されている(※2)。最近でも、三井不動産や三菱地所などの不動産大手の他、西武グループも参入を表明し、競争環境は厳しくなってきている。また、そこに賃料の上昇も伴い、シェアオフィス事業の一般的な利益率は決して高くはないのが現状である。先述したIWGの18年12月期の連結営業利益率は6%であり、18年に日本へ進出し、ソフトバンクグループが出資する米We workは事業拡大に伴う投資が先行し、赤字が常態化している(※3)。

 

前述の通り、TKPは従来事業が堅調な成長を続ける一方で、19年2月末時点の自己資本が106億円の同社にとって、「リージャス」の買収が財務に与える影響は大きい(負債合計 前四半期比+102.3%)。そのため、拡大を続けるシェアオフィス市場のシェアをどれだけ獲得していけるかが、経営上の大きな課題になることは間違いない。そして、大きく以下4つの理由により、重要なイシューは、「デジタル化支援を含む中小企業向けサービスのカバー」だと、私は考える(※4)。

➀現在のシェアオフィス利用者層は、従来のITやコンサル系企業の経営者、フリーランスやスタートアップ社員から、日立やNTTドコモ、味の素や資生堂など日本を代表する大企業の社員に移り始めているが、中小企業の社員による利用が進んでいないこと。(※5)

②日本の大企業と中小企業の企業数と従業員数を比較した時に、大企業は11,000社/1,433万人、中小企業は380万9,000社/3,361万人であり、市場として中小企業のパイが大きいこと。

➂世界各地に拠点を持ち、シェアオフィス市場を牽引するWe workは大企業向け社員向けにサービスを展開しており、中小企業向けサービスを主力事業として展開し、知見を持っている競合企業が存在しないこと。

④国や企業の「働き方改革」推進の下、中小企業においてもシェアオフィス利用の需要が増えると見込まれる一方で、中小企業は業務のデジタル化(この場では、紙などの現物を用いずPCやタブレットだけで業務ができる状態を指すこととする)が進んでいないことがボトルネックとなり、シェアオフィスを利用しようにも業務にならないため利用が進まないと考えられること。

特に、この➃に関しては、対面などのアナログ的なコミュニケーションからメールやTV会議などを駆使したデジタル的なコミュニケーションへと変えていくにあたり、心理的な抵抗(ex.対面でないとコミュニケーションはできない)や金銭的な負担が生じることが予想されるため、いかに、デジタル化を支援していくかがポイントになると考えられる。

成長市場とみなされていたシェアオフィス市場は、既に群雄割拠の様相を呈してきているが、順調に成長を続けるTKPが次にどのような一手を繰り出すのか、注視して見守りたい。

 

 

<脚注>

※1:TKP 「2020年2月期 第1四半期 決算説明資料」より抜粋
※2:TKP IRニュース「新中期経営計画の策定に関するお知らせ」より抜粋
※3:米調査会社CBインサイツの調査結果による
       直近のウィーカンパニーの企業価値は470億ドル(約5兆円)
       19年1~6月期の売上高      :15億3542万ドル(前年同期比約2倍)
                            最終損益   :6億8967万ドルの赤字
       18年1~12月期の売上高    :18億2175万ドル
                            最終損益   :16億1079万ドルの赤字
※4:シェアオフィスを推進する上では、利用企業において「多様な働き方を実現するための人事制度の構築」も必要にはなるが、TKPが決算説明資料で明示している「市場の周辺サービスの拡大」には当たらないと判断したため、今回の論点からは外している。
※5:公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告書 No.15 2017年2月より

ノラ猫

2019年7月 8日 (月)

想像力の「筋トレ」で、ハラスメントを撲滅せよ

2019年6月某日、ツイッターにとある女性のツイートが流れてきた。
そこには、自分の夫が育休明け2日目で翌月付の関西転勤を命じられたことに対する妻の怒りが書かれていた。自宅も新築したばかりで、子供の保育園入園も決まっている等、まるで「被害者」であるような書きぶりであった。


当該ツイートのコメント欄には、企業に対する批判がリアルタイムに殺到。発信者である妻がその企業のキャッチコピーをコメント欄に書き込んだことにより、発信者の夫の在籍会社名が判明。ツイートの拡散は勢いを増した。その後、企業側の対応が火に油を注く結果を招き、大炎上。様々なメディアでこの炎上騒ぎは取り上げられ、当該企業の株価は年初来安値まで下落する騒ぎとなった。


今回炎上のきっかけとなった転勤の内示は、SNS上でパタニティー・ハラスメント(通称パタハラ)だと指摘を受けていた。パタハラとは、男性社員が育児休暇やフレックスタイム制度などを取得し、子育てに参加することを妨げる企業側の行為のことだ。しかし両者の主張には食い違いもみられるため、実際にこの事件がパタハラに該当すると断定することは難しい。


厚生労働省が示すハラスメントの判断基準(※1)によると、「平均的な受け手(労働者)の感じ方」にあるとされている。何をもって「平均的」と判断するかは曖昧だが、ハラスメントと判断される可能性は、行為を受けた本人ではなく「平均的な受け手」がどう感じたかによってがあるという点に、企業側は注意が必要だ。 今回の件であれば、仮に内示を受けた本人が転勤を気にしていなかったとしても「平均的な受け手」が不当だと感じれば、不当な行為とみなされる可能性がある。そして、近年この「平均的な受け手」は、こうしたハラスメントにとても敏感だということを、企業側は熟知しておく必要がある。


厚労省が2019年6月に公開した、労働者と企業のトラブルを裁判に持ち込まずに迅速に解決する「個別労働紛争解決制度」の2018年度利用状況によると、全体の労働相談件数は26万6535件(前年度比5.3%増)と過去最多。その内、パワーハラスメントを含む「いじめ・嫌がらせ」の相談が8万2797件(同14.9%増)で7年連続で最も多い結果となっている。(※2)
相談数が増え続けている要因は、ハラスメント自体の増加ではなく、受け手側の変化によるものと考えるのが妥当だろう。2020年4月から大企業にパワハラ防止措置が義務付けられたことに前後し、従業員側がハラスメントに関する知識を得る機会が多くなり、気軽に相談しやすい環境も整いはじめている。パタハラに関しては、近年の「イクメン」ブームにより男性の育児参加が積極的になっていることも相談件数の増加を後押ししていると考えられる。


とある企業の管理職からは「もはや何がハラスメントになるかわからないので、怖くて部下とどう接していいか分からない。」と、嘆きが聞こえてくる。確かに、こうした風潮を逆手に取り過剰にハラスメント行為を主張する社員は、企業にとっては悩みの種だ。しかし、一度従業員にハラスメントを主張されると企業側は無視することもできない頭の痛い時代となった。

今回の炎上事件を例にとると、企業側の主張通り適切に社員の配置転換を行った場合も、指示を出す上司に対して、指示を受ける部下やその家族が不当だと叫べば、対応が必要になる。ハラスメントは、ある種上司と部下のミスコミュニケーションが顕在化したものと言える。

このミスコミュニケーションを防ぐために、上司と部下は今まで以上に信頼関係を確実に築かなくてはならない。人が相手を不当だと叫ぶとき、ベースとなる感情は相手への不信感であることが多いからだ。

逆に、相互の信頼関係ができていれば、多少無理な打診があったとしても、部下は何とかして応えようと思うものだ。現に私の知人は、上記の事件とほぼ同様の条件で四国から都内へ単身赴任をした。彼はマイホーム建築中に単身赴任が決まり、念願のマイホームへ足を踏み入れたのは、実に自宅完成後の5ヶ月後だった。しかし、その異動を、キャリア上のチャレンジと前向きに受け止めており不満はなかったと言う。これは企業側と従業員のコミュニケーションが機能している好例と言える。おそらく彼の上司は、彼の性格やキャリア志向を踏まえ、異動の必要性やその理由を明確に伝え、彼の質問や不安に対しても明確に対応することができていたのだろう。こうした納得度の高い上司の対応があれば、部下には訴えようと言う気持ちなど微塵も起きないはずだ。今後一層、管理職層は、指示やメッセージを相手の腑に落とすコミュニケーションが必要となってくる。

一方、上司側の努力だけで、部下が今までと変わらないままでは、ミスコミュニケーションの削減には繋がらない。部下は上司に対して、自分の意思を明確に示すことが必要だ。分からないことを、分からないと正直に伝えること。無理な注文に対しては、無理と伝えつつ、可能な限り代案を示すこと。意見を表明して初めて相手が気づくことが多々あるものだ。また、意見表明をする際は、相手に不快感を与えぬようアサーティブに伝えることも必要だ。日々接する上司も人間である。不快な行為を敢えて引き出さないためにも、部下側もやるべきことがあるということを認識しておきたい。


双方こうしたコミュニケーションを取る方が良いことは頭ではわかっているはずだが、常に誤解なく完璧なコミュニケーションができている上司と部下は稀である。まずは、ミスコミュニケーションを起こす可能性を少しずつ減らすことを意識すべきだ。

そのために必要なのは、想像力だ。自分が部下から訴えられるのではないか、上司から怒られるのではないか、そうした自己防衛心は恐怖となり行動を妨げる。恐怖はFor meの感情だ。この恐怖を乗り越えるには、考え方をFor youにシフトしなくてはならない。自分の発言や行動が受け手にどういう影響を与え、どういう感情を湧きあがらせるのか。そうした受け手の感情に想像力を働かせるFor youなコミュニケーションを取ることができれば、互いにハラスメントとは無縁な環境を築けるはずだ。

ハラスメントは企業にとっても従業員にとってもあってはならない行為だ。撲滅のためには、ハラスメント研修などで知識を得ることも大事だが、まずは今から意識して想像力の「筋トレ」を始めてはいかがだろうか。 「言葉を少しだけ変え、情景を想像する意識を持ち、自分の中身を豊かにしていくこと」で、想像力が鍛えられると、前リッツカールトン日本支社長の高野登氏は、著書(※3)の中で述べている。

想像力は高等なスキルやテクニックではないが、筋肉と同じで、すぐには身につかない。しかし、多種多様な人物や出来事への思いを馳せ、日々のコミュニケーションの中でトライアンドエラーを繰り返すことで、誰もが育むことができる。企業と従業員が末永く健やかに働くために、是非今から想像力を鍛えておくことをお勧めする。

KM2

参考
※1:「セクシュアルハラスメント対策に取り組む事業主の方へ 全体版」(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/00.pdf)
※2:「パワハラなど8万件、7年連続最多 18年度の労働相談  日本経済新聞 2019年6月26日」 (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46618110W9A620C1CR8000/)
※3:「リッツ・カールトン至高のホスピタリティ 高野登(角川oneテーマ21)」

2019年6月24日 (月)

遊ぶ脳(その二)

 晴れた日は朝の陽ざしが眩しい東向きのリビングだが、今朝は蕭々と降る雨音に包まれていて、窓辺のねむの木も心なしか葉の開きが遅いようだ(ねむの木は朝日を受けて葉を開き、日が暮れると葉を閉じる)。遠くの空で稲妻が轟いている。梅雨の訪れを報じる気象予報士は、うっとおし気な表情を見せているが、私はこの季節が嫌いではない。夾竹桃の青葉が艶やかに雨滴を湛える風情も美しい。梅雨は早苗月であり稲苗月である。夏空に抱かれた稲穂の輝く季節を間近に思い、待ち侘びる感情があって、その感情がこの季節の風情を愛でるのだ。実に未来志向である。

 そんなことを考えながら窓の外の雨を見ていると、いつもお世話になっている新潟の稲作農家の田中さんが収穫をしている稲熟月の景色が頭をよぎった。大きな地震があったが無事であろうか。田中さんも心配だが米も心配だ。あの米が届かなくなることを思うと途端に梅雨が恨めしくなる。誠に勝手なものである。勝手ついでに田中さんに電話をかけると、無事だよと明るい声だ。本当は米の無事も訊きたかったが、まあ、田中さんが無事ならば米もきっと無事だろう。誠にいい加減なものである。

 

日本は四季があるから、季節感を表現する言葉が多彩だ。米の収穫が始まる長月は、稲熟月で、稲刈月で、穂長月だ。名残月や夜長月ともいう。そんなことを思いながらコーヒーを淹れていると、スマートフォンから蛙の鳴く声がした。開くと田中君からの散歩の誘いだった。新潟の田中さんではない。近所の田中君だ。私は迷わず、傘も持たず、玄関ドアを開けていた。

田中君の家の前に着くと、玄関先で待つ田中君が、豆鉄砲で撃たれた鳩のような顔をしている。「おはよう今日は良い天気だね」と声をかけると、「まさか傘もささずに来るとは……」と絶句した。とまれ二人は、すっかり恒例行事となった週末の散歩に出かけた。ビニールの帽子と雨合羽を打つ雨音が楽しい。楽しいついでに長靴の底で水たまりに飛び込んでみると、その音がまた楽しい。

ふと気が付くと、楽しそうなのは私だけで、隣を歩く田中君が妙に静かだ。見れば浮かない顔をしている。つまり沈んでいる。

「どうしたの田中君、黴雨(ばいう)のような顔をして」我ながら酷いたとえである。しかし頭に思い浮かべている字面までは分かるまい。

「え、ああ、この前会社の研修を受けたんだけど、講師の人がね、僕にはコンセプチャルスキルがないって言うんだよ。足りないじゃないよ、ないだよ」

「へえ、こんせぷちゃる?」

「うん、ものごとを概念化するスキルなんだけどね。君は駄目だねえって……」

「そうなんだ。で、どんなことを習ったの?」

「知ってる?3CとかPESTとか、そんなやつ。それってフレームワークなんだけどね。フレームワークを習っても中身が出てこないんだよね」田中君は雨空を見上げて溜息をついた。

「そういえば、田中君の語彙は極端に偏っているからね。来る日も来る日も同じような作業ばかりしてるんじゃない。たまには自分の脳と遊んであげなきゃね」そう言って、私がからからと笑っていると、目の端に恨めしげな田中君の表情が映ったので、意思の力で真顔に戻した。確か田中君の仕事はSEだ。かなりの凄腕だと自分で言っていた。

「語彙って何か関係あるの」田中君の口が尖っている。

「田中君がよく使ってる言葉って、あれ英語だよね」

「え、ああ、英語っていうか、英語だけど、IT用語っていうか、英語だと思って使ってないよ」

「英語もね、英語圏の文化が後ろにあるから、その文化圏の色んな概念を表してるんだよ。先ずは、その辺から勉強してみたら?きっと楽しいだろうなぁ」

「英語ねえ……」今ひとつ腹落ちしていない様子の田中君である。

 

 人の脳は、語感で感じたことを記憶と結びつけながら、実に沢山の感情を生成しているという。そして、それらの感情のどれかを選んでいるのだそうだ。全ては刹那の出来事だ。選ばれた感情ははっきりと認識されて、その認識が今度は行動を生成する。そのように認識を行動にする過程で、人の脳は認識を言葉にしようとするらしい。ひとつは認識を確かな意思へと昇華するために、もうひとつは認識を誰かに伝え、共に行動するために。言葉をつくる思考とは、一瞬先から遠い将来も含めた未来の自分に対する指令なのだ。

 たとえば東北には、「津波てんでんこ」という言葉が伝承されている。もし津波が襲ってきたら、取る物も取り敢えず、人のことも構わないで、自分の命を一番にそれぞれに逃げようという意味で、被災した人々の記憶と知恵が紡ぎ上げてきた言葉だと解るし、意思を伝えて人を動かす言葉の力が感じられる。ちなみに、最新の防災アプリのいくつかは、津波てんでんこを高度に実現する機能を備えていて面白い。

「そうか、こんせぷちゃるすきるか。田中君は楽しいことを勉強させてもらってるんだね。しかもただでしょ。でもそれ、何に使うの?」

「新しいシステムとかサービスの開発に必要なんだよ」

「へえ、それは楽しそうだねぇ。未来の自分たちに出す指令を考えるんだね。それだったらさぁ、色んな神様の神通力と最先端の技術を掛け合わせて見たらどうかなぁ。神様の神通力って、昔から色褪せない人間の願望じゃない。わぁ、わくわくするね」

 田中君は口を尖らせたまま、狐につままれたような顔をしていた。

「ごめんごめん、一人でわくわくしちゃって。あ、そうだ。この前ほら、教えてくれたよね、ITの、壁に耳あり障子に目ありって感じのやつ。えっと、そうそうIoT

IoTがどうしたの?」

「ほら、IoKknowledge)だと文殊菩薩だし、IoMMedical)だと薬師如来だし、IoFFamily)だと鬼子母神かな、あれ、阿修羅はなんだろう……」

「それって神様じゃなくって仏様だよ」

「ああそうか。そうだったね。田中君は見かけによらず細かいことを気にするね」

 田中君の尖っていた口が、今度はへの字に曲がってしまった。

 

 二人で小一時間も歩いていると古びた小さな公園があったので、ベンチで少し休むことにした。いつのまにか雲は途切れてい、公園の木々に薄日が差している。

「晴れたねぇ」と、田中君が嬉しそうに呟いた。「そうだねぇ。今朝は遠くで雷が鳴ってたんだけど、遠くに行っちゃったのかなぁ」と、私はつまらなそうに呟き返した。そういえば稲妻は、稲光とか、稲魂とか、稲交接とも言って、みな稲の字がついている。雷が多いと稲が豊かに実るというフィクションが生成した言葉だろう。後に続く妻の字も、由来を思い浮かべると奥深い。妻とは通い婚の時代に男と女が逢瀬を交わす場所を言う。古代の人々は稲妻という言葉に、豊作に備えようというメッセージを込めていたのかもしれない。

「あっ稲妻だ、稲妻が走ったよ」「おっ今年はきっと豊作だ」「わくわくするなぁ」「おーいみんな、支度を怠るなよ」……

そんな妄想をとつおいつしていると、おやっと言って田中君が空を見上げるので、私もつられて空を見上げた。薄日の中でさらさらと糸雨がきらめいている。狐の嫁入りである。狐が嫁に行くと子狐が増えて鼠をとってくれるので、稲が豊かに実るという。虹のおまけまでついて、今日もまた、実に楽しい散歩であった。

方丈の庵